よくある質問

道を求める

和光同塵

質問
寺報第29号「ある日の電話」
答え
ある日の電話
 
リーンリーン、 カチャ 
B男「もしもし、奥さーん、B男やら」
坊守「ハーイ、B男さーん、元気やった?」
B男「チョット困ってるんやー、聞いてやー」
坊守「どうしたのー?」
B男「オレ今、寺の世話人させてもらってるのやけど」
坊守「そうなんですか、それはお世話さまです」
B男「それで法要があるから、その前に準備に出てくれて寺が云うて
   きたんや、本堂の掃除やら境内の草取りやらの法要の準備をす
   るから当番の人に出てほしいと言うてきた。それで地区の門徒
   に云うて、みんなで法要の準備に行くから出てください、言うて
   回ったんじゃ」
坊守「ハイ」
B男「そしたら中に、なんで出んならんのかと。忙しいのにという人  
   がおってなかなか気持ちよう出てくれんのじゃ、すぐにわかりま
   した、言うてくれるひともおるけど、なんでわしらが出んならん
   のかと言われるわけなんや」
坊守「はい」
B男「忙しいしてるのに、寺のためにかり出されるのが迷惑やという
   ことなんやわなあ」
坊守「すみませんねえ、お手当が出るわけじゃないし、ご奉仕やから
   ね、貴重なお時間をいただくわけですから申し訳ないです」
B男「わしのとこの寺は、毎月法要があるんや。七年に一回当番が回
   ってくる。当番のあたった一年間はそりゃ忙しいわ」
坊守「そうなんですね。うちは四年に一回です。法要は年に五回」
B男「祖父さんもその前の祖父さんも、皆、してきたことやから出る
   のがあたり前と思っているけど、最近のひとはそうやない。そん
   なこと知らんと言われる」
坊守「そうなんですかあ・・・」
B男「それでオレは世話人やからな、困ってるのよ」
坊守「わかりました。そういうことは以前から何度か聞いたことがあ
   ります。自分の家の草も刈らんならんのに寺のことまでできん
   とか、お茶当番が集まらんからお茶を出すのをやめたらどうか
   とか、そういうご意見の人がありますね」
B男「昔と違って、みな忙しくなったからなあ、仕事に行くから仕事休
   んでまでできんというわけや」
坊守「それはごもっともなご意見です。仕事のある方は仕事に行かねばなりま   せん。だから無理のないところでご協力お願いしなければならないと思   いますが」
B男「要は、あんまり寺に来たくないということなんやないかな」
坊守「それはどうして?」
B男「なんか面倒なんやなあ。掃除とか草取りとか大した仕事やな
   い。すぐに終わるからそんなにたいへんな作業やない、わざわざ
   大勢が出ることいらんというのとちがうかなあ」
坊守「作業としてはそんなにたいへんじゃないけど、出ていただくと
   きは、できるだけたくさんのご門徒さまにお手伝いしていただ
   く、それはご門徒の皆さまにはできるだけお寺に身を運んでも
   らいたいということなんです。お忙しい皆さんにご無理をお願
   いするのは、こちらも申し訳ないのですが、お寺というところは
   ご門徒さんとお寺の双方がお互いに協力し合って護っていかな
   いといけない。一つのお寺を護り次の世代に遺していかねばなり
   ません。そのためにはできるだけ多くのご門徒さまのお力が要
   ります。ご先祖様たちが長い間護り続けてきた、私たちのところ
   まで維持存続されてきたという間には、たいへんなこともたく
   さんあったと思います。自分たちの生活を犠牲にしたこともあっ
   たことでしょう。そういう先人のご苦労を思うと今の私たちの使
   命に思い至ります。多少の犠牲をお願いしてでもお寺に関わって
   頂きたい。そうするだけの重大な価値がお寺にはあるのです。誰
   かがそれを言い続けなければならないのです」
B男「これだけの伽藍(がらん)を護っていくのはたいへんなことや」
坊守「これを機に、お寺の意味をはじめから考えてもらって、なんの
   ためにたいへんな犠牲をはらってお寺を護っていかんといけない
   のか考えてみてはどうでしょう、せっかく門徒というありがたい
   ご縁をいただいているのですから」
B男「お寺のイミ?」
坊守「お寺の特徴は、何と言ってもあの屋根やないかしら?」
B男「お寺の屋根は立派やなあ。美しい、見事なもんや」
坊守「あの屋根の形は、合掌の形をあらわしていると聞いたことがあ
  ります」
B男「合掌かあ? そういえばお寺の屋根をみるとなんとなくホッ  
   とするね」
坊守「合掌は、ひとつということです。対立が無いひとつの世界」
B男「合掌されている人に向かってケンカできんわなあ」
坊守「お寺は、お釈迦さまがお悟りを開かれたことから生まれてきま
   した。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道という迷いの
   六道を超える世界、お浄土をお釈迦さまが開いてくださった、そ
   の迷いの世界を出るための教えを聞かせていただく場がお寺で
   す。尊い教えをいただく場ですからおろそかにはできません。六
   道は迷いの世界でして、その中で人間は迷いを迷いとも知らず
   苦しみます。生老病死、四苦八苦。一切皆苦。苦しまないひとは
   おりません。その苦しみの因を教えていただく場です。人間の苦
   しみはどこからくるのか、その根ははかり知れないくらい深い罪
   です。その深い罪を消して治してくださるのは仏さましかおられ
   ません。その仏さまがおられるところがお寺ですから、お寺は私
   たち人間にとってなくてはならない場なのです」
B男「みんなで護っていかんとなあ」
坊守「深い宿業の身を受けさせていただくにはどうしても教えをいただかない   ことには自分の力ではどうにもなりません。生きていることの深い意味   は仏さまの教えをいただく中にあります。ですからお寺を抜きに幸せは   考えられません。仏さまを粗末にしては自らいのちを損なうことになり   ます。そういう意味を理解していただけたらお寺は大切なんだと気づい   てくださるでしょう。知らないから不満が出るのでしょう。坊さんのた   めでない、またご先祖を祀るためだけでない、今生きている自分のため   のお寺ですから僧俗共に協力し合って護っていかねばなりません」
B男「ナルホドねー」
坊守「本当にお寺は大事なところなんだと信じさせていただけたら
   幸福は保証されますよ」ガチャリ。
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質問
寺報『ラッシャイ、ラッシャイ』第24号「ある日の電話」
答え
ある日の電話 
リーンリーン、 カチャ 
B男「もしもし、奥さん、B男でーす。」
坊守「ハイ、B男さん、こんにちは」
B男「別に用事は無いんや」
坊守「アー、そう。まあエエわ」
B男「いろいろ世の中がセワシイなあ」
坊守「そうやね」
B男「あの橋下はん、アレつまらんこと言うたなあ」
坊守「アー、そうやなー」
B男「墓穴掘ったで。こんどは選挙がタイヘンじゃ」
坊守「アー、そうやろ」
B男「安倍さんは人気上げたわ」
坊守「大分に来てたね」
B男「握手してまわっとったなあ、点数稼いだわ」
坊守「そうね」
B男「なんとなく世の中が少し明るくなった、アベノミクスのおか
げかなんか知らんけど、ちょっとよくなったカンジするね」
坊守「政治のことはようわからんのやけど、北朝鮮も撃つぞ撃つぞ
言うてたけど、もうその手は通用せんね」
B男「がまんくらべやなあ」
坊守「知らんまに撃ってたね、知らんかった」
B男「万が一、ボタンを押すようなことになったらカナンで」
坊守「アメリカもテロがあったし、どこの国も大変」
B男「憲法改正、どうなることやら」
坊守「山のように問題があるね」
B男「日本の行く末はどうなるのか?」
坊守「そうやね、何が起きても不思議でない。一日一日無事に過ぎ
たら、ホント感謝やね」
B男「政治家もたいへんやで。」
坊守「ごくろうさんやね」
B男「家の中がまたおおごっちゃら(たいへんだ)」
坊守「なんで?」
B男「まあな、いろいろあるんや」
坊守「そうなん。B男さん、お浄土があるからね、心配しなくてもいいんよ」
B男「ふ〜ん」
坊守「この世は問題だらけよ。だからお浄土が建てられたんよ」
B男「そうかあ、そうは言ってもなあ」
坊守「お浄土は目に見えないしね、地球上のどこかにあるのでないから分からないのだけど」
B男「ちょっと待って。死んで行く世界やろ」
坊守「いいえ、この世でいただく世界よ。」
B男「ふ〜ん?どうやって?またナンマンダブツ称えろ、言うんやろ?」
坊守「よう知ってるやん」
B男「いつもそう言うやんか」
坊守「はい。その通り。」
B男「しかし、まだよう分からんのや」
坊守「はい。分かるように言えって言うのやろ?」
B男「そうや。分かるように言ってもらわんと」
坊守「分からんのよ。さっき、世界中どこもたいへんという話したやろ?それぞれ家の中もたいへん。世の中、たいへんでないところは無い。問題があるのが当たり前で、問題が無いのはお浄土だけ」
B男「ふ〜ん、お浄土だけは問題が無い。そのお浄土はどこにあるのやって」
坊守「問題があるのがあたり前、この世は苦なり、というのがお浄土や」
B男「それが浄土?」
坊守「浄土のおはたらきやなあ・・・」
B男「おはたらき?」
坊守「大経にご本願が説かれていて、四十八願あります。その一番目に、浄土には地獄、餓鬼、畜生がいないと説いてあります。この世は地獄、餓鬼、畜生が蔓延する世界や。自分の心の中をのぞいたら分かるやろ?」
B男「そうかなあ?真面目にやってるで」
坊守「そうかなあ?真面目にやってるだけでは生きて行けんやろ、
   人生、そんな簡単なもんやないでしょ」
B男「マアそういえばそうやなあ。ウソもつきます。ヒトに負けられん」
坊守「人間はみなそういう心やから、国同士になったら島の取り合いもせんならんし、真面目だけではヤラレてしまう」
B男「キレイごと言うてられんわな」
坊守「みな仏さまのものや、云うたって通用せんもの。死守せんならんやん」
B男「なんとか戦争だけは食い止めんならん」
坊守「そうや。悲しいね、争いは。だからお浄土がどうしても必要なんやね。やりきれないから」
B男「仏さまに救いを求めるしかない」
坊守「善いも悪いも消して下さる。争いの無いお浄土を建ててくださった、そのお浄土という帰り場所が無いと生きて行けん」
B男「どうやって帰るん?」
坊守「ナンマンダブツと称えるの」
B男「それだけ?」
坊守「はい。ナンマンダブツと出たらそれで安心や」
B男「へええ、そんなんで安心なんか?」
坊守「ハイ、お念仏の力は偉大なんよ、コワイくらいに」
B男「分からん」
坊守「分からんやろうけど本当なんよ。人間は迷っているのやから、
   真実のお言葉は光となって闇を晴らしてくださるの。絶望に
   沈んでいる心に光となるよ」
B男「・・・・。」
坊守「迷っていることも気づかない愚かな人間。仏さまは何もかも
知り抜いてお浄土から真実のお言葉をご廻向してくださっ
た。あらゆる徳のこめられた南無阿弥陀仏だから南無阿弥陀
仏と口に出てくださったらそれで大丈夫。安心なのです」
B男「ふ〜ん? ナンマンダブ ナンマンダブ」
坊守「アリガト、B男さん、じゃあネ!」ガチャリ。
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質問
「ある日の電話」第23号
答え
リーンリーン カチャ 
B男「もしもし、奥さん、B男でーす。」
坊守「ハイ、B男さん、こんにちは」
B男「今日は質問があって電話したんや」
坊守「なあに?質問て?」
B男「いつも話に出る浄土ってことについて聞きたいんや」
坊守「浄土ですか?」
B男「浄土っちゃ、どういうところなんか、教えてもらいたいんじゃ、どうやって行くのか、教えてほしい」
坊守「はい、お浄土へは南無阿弥陀仏と称えて行きます」
B男「ふん、そうか?南無阿弥陀仏と称えたら行けるのか?」
坊守「ハイ、一応はね」
B男「しかし、南無阿弥陀仏と称えても、なにも変わらんよ」
坊守「そうでしょう、お念仏称えても、なにもありがたい気持ちにならないというわけですね?」
B男「ああ、よくご院家さんが念仏称えろって言うからな。だから念仏称えるようにしているけど、特に変わったこと無いし、ありがたいことにならんのや・・・」
坊守「ありがたいこと?」
B男「回数が足らないのか?」
坊守「そういうわけではないですよ。一声の念仏でたすかると親鸞聖人はおっしゃっていますから」
B男「だからよく分からんのよ」
坊守「B男さんが分からんという気持ち、よく分かるわ。分かったようで分からんのよね。こころの世界のことだから、目に見えない世界だからね」
B男「浄土って、いったいどういう世界なんか、ありがたいところなん?」
坊守「今、B男さんが浄土ってどういう世界なんだろう、と浄土へ生まれたいと願う気持ちはね、B男さんが起こしたようだけど、それは仏さまがB男さんのこころに起こさせてくださったんよ。人間にはね、浄土へ生まれたいと願う気持ちは無いからね。」
B男「俺のこころに仏さまが?」
坊守「その気持ちをたずねて行くんです。この気持ちはどこからきたのかなあって」
B男「どこから?」
坊守「ほら、答えが出たようなものやね」
B男「ええ?」
坊守「お浄土から来たほとけさまのおこころなんやね」
B男「そうなんか、分からんけどな」
坊守「いっぺんにはなかなか分かりませんけどね、やっかいなのは、人間のこころはすぐ執着するからね。仏さまのおこころと人間の濁ったこころがごっちゃになるから、分かったような分からんようなということになる」
B男「どうしたらいいんかな?」
坊守「浄土へ生まれた人に教えていただくのが一番。一度浄土へ生まれた人に聞くのが一番確実やね」
B男「実際に行った人なら、道順がわかるわな」
坊守「あいまいな人に聞いたら行き着くかわからない。共に迷ってしまうわ」
B男「なるほど。まずそういう先生を探すことやな」
坊守「そうです。因縁の善知識に遇わせてもらうことが肝心です。道を歩む決定的な要素です。」
B男「しかしそういう先生がどこにおいでるか、探すのが難しいな、看板出してくれてたらいいけど」
坊守「真剣に求めていたら必ず出遇えます。B男さんの求める心次第よ。それに、先生という肩書のある人とは限らないし・・・。」
B男「そうか。しかし手間のかかることやな」
坊守「お浄土へ生まれさせていただくのに、手間を惜しんでてどうするの?人間だけよ、お浄土へ生まれることができるのは。まず人間に生まれ   るのがたいへんなこと、せっかく人間に生まれさせていただいて、浄   土へ生まれる最後のチャンスですよ。このごろ思うのはね、定年まで   勤めあげて六十才くらいになるでしょ?それまでは準備運動よ。それ   からが本番よ」
B男「ええ?定年までは準備運動ってか?どういうこと?」
坊守「人生いろいろ経験を積んで、一通り渡って来たらどんな人も罪を重ねてきてるはず。そうでなければ生きて来れないんだから。生き物のいのちを相当犠牲にしてます。嘘もついてきたし、人の悪口も数限りなく言ってる。そういう悪の塊が出来上がっているわけ。それは仏さまに救っていただく準備がめでたく整ったということです。準備運動が終わってね、それから本番が始まる」
B男「本番?」
坊守「人間に生まれた以上、成し遂げなければならない大仕事がある、仏になること!お浄土へ生まれるってこと」
B男「定年後、やっとゆっくり出来るんじゃないの?」
坊守「ゆっくりもしていただいていいですよ。準備運動でお疲れでしょうから。でも人間がゆっくりしてロクな事無い。大仕事にとりかからなくちゃ。仕事があるということは幸せなことです。」
B男「うん、それはそうだなあ」
坊守「罪を重ねてきてるのだから、材料はいっぱいあるでしょう。それを使って仏様のお仕事をさせていただきましょう。そういう老後に孤独はありません。虚しいということもありません。おそらく痴呆の心配も無いんじゃないかしら?」
B男「仏さまのお仕事?」
坊守「仏さまに使っていただくことが、人間にとって一番幸せを感じれることです。生きていてよかった、人間に生まれさせていただいてよかった、私は私でよかった。そういう気持ちになれるのが、浄土へ生まれたということよ」
B男「ああ、そうかあ」
坊守「今、自分がいる場所で、そのままで幸せを感じれる。何も問題が無い。そういう実感。満足の世界。生きている間に生まれられます。」
B男「生きている間になあ、生まれたいねえ」
坊守「是非生まれてほしい。自分一人の幸せを願っているときは、さみしいものよ。幸せにはなれません。でも人間にはその心しかないから仏様のおこころを頂かなくてはね。仏さまのお心をいただいて、生まれた本懐を遂げ、この世を去る時、心置きなく行きたいじゃありませんか。念仏者に老後とか無いんよ。一生現役、青春のような瑞々しい心で死ぬまで生きましょぞ!」ガチャリ。
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質問
「恩を思うなら 自分の報恩講をしなさい」
答え
このたびの報恩講には二十四年間、毎月お月忌参りをさせて頂きながら、法要には一度もご参詣のご縁がなかった方が思い立ってお参りされます。うれしいです。その方は正直に「なんで私は聞法に行かないんのやろ、そういう心が起きない」と言っておられました。その人の心に行こうという心が起こったのです。不思議です。

「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり
                    歎異抄第一章

ところが、雨の中、外まで送ってくださったその方に、車の窓から発した私の言葉は
「あまり期待しないでください。一回だけで懲りずに続けてください」
でした。

私の心に一瞬よぎったのは、
「初めて参詣したのに、何だ、こんなことか、と感じはしないだろうか」
という疑い心です。人を疑い、その奥に本願を疑うという罪です。ここの壁で私はたじろぎ前へ進めなかったのです。

すぐに大石先生の教えが浮かんできます。

「二日後に今度は二人を送りにくるが、その時『よかった』と思えるお別れ をしたい」という気がしました。そう思ったとき、「あっ、これがはから いだ。このはからい心が私を苦しめるのだ」とひらめきました。
  (中略)
 人に会えばものを言います。ものを言う時、悪く思われたくない、つまら んものに見られたくない、という心が動くのです。だから自分を飾る、虚 勢を張るのです。そうして後味が悪い思いが残るのです。簡単なことです が、私は物心ついてから、その心だけに生きてきたのです。自分のことで あるのに、自分はそれを知らなかったのです。(中略)
  相手が喜んでくれたらよいが、と求める私の心は、相手が満足してくれ なかったら、この出会いは失敗になる、という心の裏返しなのです。私の はからい心には、必ず疑いという暗い影がつきまとうのです。
  「あっ、これがはからいだ」と思った時、その裏には「そのお前が目当 てなのだ」という仏様の声があるのです。相手でなく、常に私に対しての 仏様のお呼び声を聞かせていただきます。そうなったのは「一念帰命」の 後なのです。
         「どうなろうとこの道一つ」五十九ページ   

私が大石先生宅を初めておたずねした時、平成七年四月十八日。今から十八年前です。玄関に藤解照海先生のお言葉のカレンダーがかかっていました。

「他人ニ良ク見テモライタキ心ハイヤシキモノナリ」

思わず私は頭に手をあてて「まいった」といいました。何時もそういう心で生きて来た私の本質だったからです。それを見て、大石先生のほうが大変喜ばれました。その時はまだ私は自分に出会っていませんから、なぜ大石先生がそのことをそんなに印象深く喜ばれたのかが分かりませんでした。

 仏智の不思議を疑惑して
  罪福信じ善本を
  修して浄土をねがうをば
  胎生というとときたまう
         親鸞聖人作 仏智疑惑和讃

 人に良く見てもらいたい、喜んでもらいたいというのは人の道としては大事なことです。それで一生懸命に努力し働きます。ご本願が信じられないかぎり、そのことが仏智疑う罪とは思いもしないことです。そして人が評価しないと腹がたちます。ちょっとでもほめられるとうぬぼれます。劣等感か優越感でしか人や天地と出会えません。一体感がありません。いつも人とへだてをもち、自分の殻のなかで独り相撲して孤独で淋しかったのです。なにか物足りなく、むなしかったのです。しかたなく将来に、将来にと夢を追って来たのです。そのはからい心が迷いだったのです。

人、天地との出会いを妨げていたのです。報謝の念仏がありませんでした。その自分の愚かなあり方を照らし続け、知らせ続けて下さって来たのが仏智、光明であったのです。

 疑城胎宮にいたこともまったく知らなかった私を、ご本願が大石先生に現れて、疑城胎宮から出してくださったのです。出たら明るくなります。今まで見えなかった世界が開かれて来ます。人との出会い、天地との出会いが出てきます。人生がむなしくなくなって、生きるのが楽しくなるのです。雲霧がかかっても明るさが消えません。不思議です。人の中に入ったり、人を明るく迎えるようにならされます。それは自力我執(私)の力では絶対にあり得ないことです。

 私においては大石先生を通して、親鸞様は生きておられます。浄土真宗が生きております。得道の人に出会えたご恩を痛感させられる日々です。            
昨年の長仁寺報恩講は
「他力回向の信心をいただくための報恩講」
として勤まりました。「ラッシャイ」十六号を読みますと、お泊まりのお同行さんが十二名もおられ熱気が蘇ってきます。ご本願力のたまものであります。人間が計画して実現できる世界ではありません。
一回、一回が初事であり新鮮であります。今年の報恩講がどのようになるかわかりません。

「恩を思うなら自分の報恩講をしなさい」
              藤解先生のお言葉

「人を照らすのでなく、自らがご本願に照らされて救われていきなさい」
              大石法夫先生のお教え

「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」
という親鸞様の尊い生き方がやっと響いてきました。

長仁寺報恩講が近づいてきます。外は暗く寒いのですが心は明るく熱くなっています。どのような「自分の報恩講になるのか」お育てを賜ります。                
南無、南無

 平成二十五年二月五日               常照
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質問
寺報第22号「ある日の電話」
答え
ある日の電話 
リーンリーン カチャ 
B男「もしもし、奥さん、B男でーす。」
坊守「ああ、B男さん、どうしたの?しばらく電話無かったね」
B男「エッ、それは無いでしょ。しばらく電話出なかったのはあ
   んたでしょ」
坊守「アラー、そうやったかしら?ゴメン、ゴメン、ご免ね」
B男「どこかへ行ったのかと思っていたよ」
坊守「いえ、どこにも行きませんよ。ちゃんと居ましたよ」
B男「そうか―。まあ元気なら安心したよ。また倒れたんじゃない
   かと心配したよ」
坊守「すみません、ご心配かけて」
B男「もうワシの出番はなくなったのかと心配したよ」
坊守「そうねえ。B男さんにはずいぶん活躍していただいたので、
   そろそろ変わりをみつけようかなと・・・」
B男「やっぱりそうか、お声がかからないから、そんなことではな
   いかと思ったよ」
坊守「そういうことも考えたんです。わたし、ちょっとしんどくな
   ってね」
B男「ネタ切れってことか?」
坊守「俗に言うマンネリですかね」
B男「確かにそういうことはある。何かをやっていれば、そういう
   壁に必ずぶつかる」
坊守「そんなことは無いと思っていたんよ。仏様の世界は無限だか
   ら、マンネリというのは娑婆のことだからね」
B男「それで、どうなった?」
坊守「いやあ、もう諦めました。私、諦めは早いんです」
B男「ふん」
坊守「残念だけど、自分に沸いて来ないものは仕方無い。絞り出す
   ようなことはできないし」
B男「へえ、それでどうなるの?ワシはお役御免か?」
坊守「それがね、こうしてB男さんに再び登場願って、また新たに
   始まりました」
B男「ほう、再開やね」
坊守「去年の秋からだんだん、だんだん落ちて行ってどうなるのだ
   ろうと思ってました」
B男「それで?」
坊守「第二十一号に私は原稿書いてなかったでしょ?本当は書いた
   んだけど、自分で感動が無いんです。そんなもの、人さまに
   お見せできない。だから写真をたくさん撮っていたので、写
   真を使ったんです。住職は絶対出さねばならん、と責任感の
   強いひとなんでね」
B男「写真はよかったよ。いろんな活動が紹介してあった」
坊守「はい。写真があってよかったんです」
B男「それで?」
坊守「それから、だんだん落ちていったけど、前に落ち込んだよう
   にはならなかった。自分でおかしいとは感じていました。や
   たらイライラして人にあたり散らしていました」
B男「仏法を聞いてたすかったひとの様子じゃないね」
坊守「そうなんです。まったく自分でもイヤな人になっていました」
B男「そこでどうなって、どうなったん?」
坊守「自分はね、仏法聞く人じゃなかったんだって気づかされて」
B男「へええ?」
坊守「こんなに寺報とか出して、人から褒められたり、また去年は
   お話にも呼んでいただいたりしたんだけど、エライ大間違い
   やったって、とんでもない大ウソつきやったと知らされてね」
B男「むむむ」
坊守「すぐにそう思えたのではなくて、それは認め難いことだから、
   心の中ですごく葛藤してね、人から言われたら、ウルサイ!
   と撥ねつけていたでしょうね。じわじわ感じていたんです。
   やっぱりそんな致命的なことは思えない」
B男「ウン、そうじゃろ、そうじゃろ」
坊守「年が明けて何日だったか、朝参りを休んだりもしてね、なん
   か仏法から離れたいと思って」
B男「仏法からはなれたい?」
坊守「そうなんよ、私は仏法には縁が無い人間やと思った。でも外
   からお参りの方がおられるのに、坊守が知らんふりしている
   わけにもいかないし、仕方なく出るようにしたの、お参りの
   人のために出てやるか、みたいな気持ちで」
B男「それは恩着せがましい」
坊守「坊守が出ないわけには行かないから。だから出てやると」
B男「それで?」
坊守「逃げられなかった。私は逃げるばかり」
B男「ほうほう」
坊守「そしたらね、先生の御書信第七信に、先生ご自身が懺悔(さ
   んげ)されてあるところがあってね、響いてきたんです。」
B男「どこ?なんて書いてあったの?」
坊守「直筆書信集上巻の六五ページです。
   私のように「人にきかす」話ではなく、御自身が述べられつ
   つ、御自身が押し頂いておられます。
   このセンテンスが自分のこととしてスーと肚に落ちてきま
   した。なにか、先生が先に落ちて下さって、ほらね、と導い
   てくださったように感じて、だから落ちれたんです。」
B男「・・・・・?」
坊守「法執ということは聞いているし、自分もいただいたという慢
   心があると感じるのだけど、それが取れない。聞いたことを
   誇るこころ、聞いた教えを自分の徳にするこころ、そういう
   ことは何度も聞かせていただいているのだけど、聞いて知っ
   ているのと実際になるのは全然違うんです」
B男「冷暖自知、か?」
坊守「どうしても聞いたことを自分の手柄にする。無始よりの迷い
   やね」
B男「そこを超えるのは、ではどうしたらいいんや?」
坊守「どうしたらもこうしたらもなくてね。自分には人に教える徳
   も智慧も無い、あるのは邪見憍慢のこころしか無い。有難いと
   喜ぶ心は煩悩が喜んでいる。優越感なんよね。こちらに喜ぶ
   心など無いよ。仏様のことは仏様が喜ばれるんです。一切が仏
   さまのおひとりばたらき。B男さんも私も仏様に使ってもらう
   んよ、しっかり。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」ガチャリ。
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質問
「ラッシャイ、ラッシャイ」あとがき
答え
寺報の原稿をパソコンに入力していると、丁度お昼に近い時間になっていました。常照さんが「ラーメンつくろか?」と。「お願いしまーす」買い置きのインスタントラーメンがありました。程なく「出来たぞー」。

居間にいくと鍋から美味しそうな湯気がたっていました。常照さんは若いころからラーメンが好きで、よく作っていたので私が作るより上手です。野菜をたくさん入れます。今日のラーメンにもキャベツがたっぶり入っていました。

ラーメンをいただいた後、また原稿の清書の続きにかかりました。パソコンの入力はほとんど私の仕事です。つぎにご門徒さんからいただいた里芋に常照さんの目が留まりました。でも私が仕事にかかると、里芋がいつ口にはいるかわかりません。常照さんは好物の里芋を早く食べたいのでしょう、率先して皮を剥いてくれました。

最近はこんな平和な毎日ですが、去年の暮れから新年にかけては大変でした。 
「ある日の電話」に書かせていただいたような状態が続いていました。八月の本山での研修後、だんだん様子がおかしくなってどうにも仕様がありませんでした。炬燵にはいって終日テレビばかり見ていました。あんなに一日中テレビを見ていたことは初めてでした。その様子をみた常照さんは「磁石から離れたんだ」と言いました。磁石から離れたというのは仏様を忘れたということです。磁石から離れたただのクギになった私は、愚痴ばかりが出て周りの人に対する不満でいっぱい。体も心も重く病人のようでした。

常照さんがさらに「お前は十二月ごろによく落ち込むなあ」と。そういえば、暮れころに落ち込むことを何回か繰り返しています。もう大丈夫と思ったのに。

新年が開けてから、岐阜の田中さんに電話をしました。五月にお話しの依頼を受けていたのをお断りするためです。田中さんが「脱皮なんではないか」と言われました。脱皮という言葉にふと我に帰らされるような気持ちがしました。でも人の前に立ちお話をさせていただくような気持ちになれません。恰好悪い姿は見せられないというはからいなのか、こんな自分には資格が無い、残念でも潔くお断りすべきだと言い訳しました。どこまでも自力執心がはたらきます。


そうこうしているうちに長仁寺の報恩講の準備に入りました。ご案内を作成しているとき、御講師のお名前を住職に確認しました。三重の森愚英先生、そして岐阜の田中先生は先に決まっていました。そのお二人の先生は四日間のうち前二日でお帰りになります。その後を住職と坊守で勤めさせていただこうということになりました。田中さんの所をお断りした私です。大丈夫だろうか・・・? 

おまかせです。私にはお話する力はありませんが、仏様から与えられたご縁です。謹んで頂こうと思わされました。自分にはどうこうする力がありません。息をすることからもう、自分の力ではない、すべて仏様のおはたらきです。与えられたご縁です。

仏様とはまったく真反対を向き生きている私です。そう知らされてもそれで向きが変わるわけではありません。向きっぱなしです。少しは仏様の方へ向けたという気になったのが落とし穴でした。頂いたと言っても、頂けないと言っても人間から出る言葉は虚偽。いつも落とし穴に落ちる、落ちている、落ちたと言って上がる私、救いようのない私に仏縁が恵まれました。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏           合掌

平成二十五年二月         法喜
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質問
「我が人生に 分岐点を与えて下さる 親鸞さまの御恩
答え
 
 平成二十五年の報恩講は私においても、長仁寺においても分岐点とならされた報恩講でありました。新しい参詣者や試みもありましたがご本願のおはたらきが参加された一人ひとりの背後に働いてそれぞれの宿業のままに花が開いていました。長仁寺の宿業をご縁としてご本願の一心の華が開いたと申せましょうか。
 私は五年前に人生の分岐点がありました。その時を境に日々ご本願が私の宿業を縁として成長されています。炭に火がついて一段と燃えだしたごとく、接ぎ木の木が成長して花が咲き出たごとくです。
 私は浄土真宗の寺の住職という現在の宿業のご縁です。日々の月忌参り、法事、葬儀、布教、地域のお付き合い、寺のお付き合いがあります。歌等のお付き合いや家庭人としての宿業もあります。その一つひとつの宿業の中でよろよろではありますが一貫してご本願に救うていただいております。
浄土真宗の寺の一番大事な法要は報恩講です。その報恩講のあり方に僧侶としてずっと悩んで来ました。初めは形をおぼえ伝統や習慣にそって勤めることだけでもうへとへとでした。何とかしようと少しずつ工夫も取り入れました。しかし、肝心の親鸞様はどこにおられかわからず悩み続けました。ご本願に救われていませんから当然です。
宿業と本願は紙の表と裏のようにぴったりしています。ご本願は形がありません。宿業は形があります。ご本願に帰依されないときは我執が邪魔をしてご本願と宿業がぴったりしません。人間の眼に見える我執から見た形に固執し比較するのです。ご本願に帰依すると形にまでなっている背後の願いが知らされて宿業が生き生きとしてきます。
自分の与えられた境遇を改善し理想のようにしたくて、精一杯努力した結果、やっぱりどうにもならず、ため息と愚痴が出てしまう。しかしあきらめ切れずにあきらめざるを得ないという人生が、まるで思いもしなかった新世界、浄土に向かって歩みが生まれるのです。自分の努力で成りたくても絶対に成れなかったことが本願力によって可能となるのです。この事実を親鸞様は「教行信証」の行巻に海のおたとえで教えてくださっています。

「海」と言うは、久遠よりこのかた、凡聖所修の雑修雑善の川水を転じ、逆謗闡提恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水と成る、これを海のごときにたとうるなり。まことに知りぬ。経に説きて「煩悩の氷とけて功徳の水と成る」とのたまえるがごとし。    
                          真宗聖典198頁

「海の世界」。人間の思い、二心から出る善し悪し、勝ち負け、損得、好き嫌いということを根にもった六道輪廻の日頃の心、あたり前としている世間心の根底を全く超えたる浄土の世界です。光明土ともいいます。
大石先生にお遇いした時、私において本能的に感じさせられた世界です。私の教学用語や感情の喜びなどが色あせ、池や水たまりのごとく照らされ、打ちのめされた世界です。
先生にお遇いして以来十八年が経過しました。先生が私に、長仁寺に慈悲をもってそそぎ続けて下さった願いが今年の報恩講に届いて下さりご本願の一心の華が開いた感じがいたします。単に思いや感情でなく本願成就の事実を証明して下さった長仁寺報恩講でした。
 心に残るままに書かせていただきます。宮嶋文子さんは目が見えない中、昨年に続いてのご参詣でした。昨年はまだ少し見えていたところがありました。今年はいよいよ見えなくなったのです。ご来寺されて去年より明るくなられたなあと感じられました。感話の中で
 「目が悪くなったお蔭で」と喜んでおられるのです。そして、「仏様に使って頂いています。」と、仏様におまかせされてすっと行動される生き方に感動しました。感話を聞かれた上山ハツ子さんは「感話を聞いていたら途中から涙が出て来ました。少しは人より苦労してきたと思っていましたが、私の苦労なんてなんでもなかったと吹っ切れました」と。そして、上山さん自身も尊い感話をして下さいました。
 三重県から来られ、講師もして頂いた森愚英さんは中津駅まで送っていった長男(真人)に「江本(長仁寺)に会いにくるのでない。江本を動かしているご本願に会いにくるのや」と言われたと聞いて、本当にうれしかったです。
 愛知県からご参詣の酒井笑子さんの礼状のお葉書には「あたたかく、広やかな力溢れる自在な長仁寺。本願仰ぐ尊い一歩を歩みます」とあります。
 報恩講に参詣できなくなった富山県の段證武邦さんは報恩講の始まる前日の夜に来られ、翌朝の朝参りに参加され、十時ころとんぼ帰りされました。段證さんは毎月七日の夜、高岡の超願寺さんで開かれている「蓮如上人御一代記聞書」の勉強会のメンバーです。礼状には「先日は、報恩講の忙しい中、朝参りに出させて頂き、ありがとうございました。手作りのすき焼きが、とても美味しかったです。」とあります。
 私は若い頃、多くの先生やお同行さん方の寺や家に泊めていただき、食事もいただきました。それが今よかったなと思わされるのです。
 岐阜県から講師として来られた田中秀法師は三月二日付の機関紙「つぶやき」三十一号のなかで次のように書かれています。
「一生懸命聞法したのですが、六十才までの三十年間、時々嬉しくなった様な事もありましたが実は何もわからずにいたことが今はっきり知らされています。それもそのはずでした、私の聴聞の姿勢は私が生まれて以来の体験と知識、いや生まれる以前、曠劫来流転といわれていますが、真宗では宿業という言葉で表現されてあります。何事においても我を中心としてしかどんなことも受け取ることが出来ない。仏様のお話を聞く、すなわち聞法の場においても自分を拠りどころとしてしか聞くことができない、自分と次元の違う仏様の世界を自分を拠りどころに聞くのですからお話しがピッタリしないはずです。聞の姿勢という事を度々聞かせて頂いたが私というものを立てて、その私(自我)が仏様のお話を聞いて清浄になるかのように予定して聞いて来たのですから難中之難です。三十年近く以前、藤谷秀道先生がこんなことを話して下さったことが印象に残っています。『謙ちゃん、一点突破ということがあるわ・・・一点突破によって今までサッパリわからなんだ世界が不思議に、一分二分知られるで』と。七十才を過ぎた今、先生のお言葉が実感させられる事が度々です。」
 さて、二月二十二日のお勤めの後、昼席のご法話の始まる前、長仁寺開基以来初めての帰敬式が執り行われました。  
稲熊紀子さんの発願により、夫の好臣さん、息子さんの康伴さんの三名です。昨年、稲熊さんから帰敬式をたのまれた時、不思議な感じがしました。稲熊さんもいろいろな問題を持たれて分岐点に立たされています。ここを超えて行かれるについて人間の自力では限界にきています。長仁寺も分岐点の時が熟されてきたのです。「本願」という法名が湧きあがって来ました。女性には似つかわしくないかもしれないと思い、その場ではなにも言いませんでした。数か月してお月忌の時、報恩講の時に帰敬式をさせて頂くことを告げました。そして、今年一月のお月忌のとき「待ちどうしくてわくわくします。」ということをお聞きしまして、ご本願からのうながしにもう逆らえないと肚がその時きまりました。本願の光、み教えをよりどころとして生きてほしいというご本願からの願いです。長仁寺帰敬式のスタートの方の法名としても尊いことであります。しかし、ご本人には当日までは告げませんでした。
 報恩講の前日、和紙に法名を書かせて頂き阿弥陀様の前にお供えしました。紀子さんに「釈尼本願」。お寺の配りものは足腰不自由ななかでも喜んでされるというご主人さんには「釈佛足」。厄年で人生の節目のご縁にしたいという息子さんには「釈佛願」です。当日、法名に込めた願いを皆さんの前で申し上げて受け取っていただきました。
 報恩講の三日目は坊守の法喜さんのご法話でした。平成元年に長仁寺に来てからの悪戦苦闘の歴史をつつみなく語られ、泥沼がお花畑になったと。宿業を通してのご本願の生きた救いが伝わって来て心にじんとくるものがありました。改めて、教学とか感情ではご本願は伝わるものでない宿業をとおしてこそ伝わると教えられました。
 休憩時間に前坊守の飛び入りの感話があり桜餅の塩加減のごとく花をそえてくれました。この時、お茶菓子には宮本友子さんがなんともおいしい手作りの桜餅を一三〇個も参詣のみなさんにふるまってくれました。
 四日目のご満座では四人の総代さん。宮本友二さん、坂本安人さん、前嘉明さん、上原誠二さん。サンガの会から島津貢さん。婦人会から前康子さん。聞光道から吉崎勝子さんに感話をしていただきました。
 住職のご法話。
長仁寺に生まれ、何とか寺をよくしようとがんばったがとうとう行き詰まってしまい超えてゆく出口が見いだせず惰性の日々を送る中で大石先生に出会いました。以来十三年間のお育てを受けました。特に平成十一年からの九年間は毎月長仁寺に泊まりがけで来ていただきました。大石先生が言われました。「一生や二生でない長い流転の闇の業の将棋倒しの人生がご本願に帰命する一念に将棋倒しから立ち上がれる」と。大石先生をしてご本願の光が私に届き長仁寺に入り闇が破られたのです。この計り知れないご恩が私の心に沸いた時、何か抑えきれない奥深くからこみあげる感情を超えた熱いはたらきで嗚咽しました。
 大石先生を通して生きたご本願のお教えに会わなかったなら、私は間違いなく他人を悪者にして人も自分自身をも見下げ、愚痴と不平と不満と不安をかかえてそれをごまかすために酒に逃げて、人生を粗末に台無しに送っていた人間です。それでは長仁寺は暗いがらんどうの建物になっていたでしょう。その私の暗闇の人生を根源から変えて下さったお力が本願力です。本願他力です。大石先生を通しての本願力です。今日、大石先生は肉体の形はありませんがご本願のおはたらきとなって、南無阿弥陀仏となって私の中に生き続けています。大石先生の背後に藤解照海先生がおられます。その背後に親鸞様が、七高僧様が、先生方が、御同行様方が、釈尊が、さらに弥陀のご本願が生きておられます。長仁寺の新たな出発であります。
 最後になりましたが、忙しい中遠路をいとわず泊まり込んで参詣された十一名のお同行さん方、遠いところからのご参詣のお同行さん方、当番地区の森山・成恒のお同行さん方、長仁寺のお同行さん方さらに無数の先祖の皆さん本当に有難うございました。
 いよいよ長仁寺はご本願を拠りどころとして、縁ある方々にご本願をお伝えしてゆく寺として歩み続ける願いであります。今後ともよろしくお願い申し上げます。

  本願力にあいぬれば
   むなしくすぐるひとぞなき 
   功徳の宝海みちみちて 
   煩悩の濁水へだてなし
             (親鸞様作・天親菩薩和讃)

  無始流転の苦をすてて
   無上涅槃を期すること
   如来二種の回向の
   恩徳まことに謝しがたし
             (親鸞様作・正像末和讃)

  如来の作願をたずぬれば
   苦悩の有情をすてずして
   回向を首としたまいて
   大悲心をば成就せり 
             (親鸞様作・正像末和讃)

  多生曠劫この世まで
   あわれみかぶれるこの身なり
   一心帰命たえずして
   奉讃ひまなくこのむべし
             (親鸞様作・聖徳太子和讃)

平成二十五年三月十四日
                      常照
                  南無阿弥陀仏
                  南無阿弥陀仏
                  南無阿弥陀仏
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