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通信第十八号『後生の一大事』
答え
通信第十八号 後生の一大事

  前回の通信には予想外に有難い返信や電話のお便りを頂きました。二、三通紹介させて頂きます。
   通信第十七号を何回もくり返し読ませて頂きました。特に「パニック状態の真っただ中にお出ましくださった六字名号のおはたらき」は、生き生きと伝わってまいりました。生きた法話であると感じさせられます。
  大石先生が「…自動車がガソリンを燃料として動くように、御本願は煩悩を燃料として、私の中で活動を開始してくださるのです」と教えて下さっている言葉が脳裏に浮かんでまいりました。煩悩具足の私を目当てとされている御本願のおはたらきが感じさせられます。有難うございました。
                         高岡市の高井外次師

   通信十七号盂蘭盆の十六日に届いて下さいました。早速に読ませていただいて、魂の底の底へ届いた感じがし、大利益を頂いた感じがして、この喜びを共に味わいたいと、近所の話し友達の所へ早速に出かけ、私が読んで聞いていただきました。でも、その人は「私はお寺まいりをあまりしてないからね。お念仏の深さがわからない。」と言われます。それで、また帰ってから、読み直したら、始めの直感の喜びが、段々と自身の内面を掘り下げてゆき、自我が出てあらぬ方面へ向かって、自身を責めていきました。十七日朝四時、目が覚めると同時に起き上がり、また読ませていただき、また有難い時間をいただき、お礼を書かせて頂いています。
   先生のお父様の死を通して、何時も聞かせていただいた、おやさしいお言葉の中に、大きな大きな仏様の偉大な力、御利益を、あらためて受けた感じがします。ほんとうにありがたい。ありがとうございました。どう表現していいか。私も八十九才です。私にとって、特別の通信第十七号です。先生のお父様が如来様となって、如来様のお心を届けて下さいました。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏                          合掌

                  広島県安芸高田市 水野ウタ子
  ご無沙汰しています。愛知県の鈴木です。いつも時報(通信)をお送りいただきましてありがとうございます。この度はお父上のご遷化、ご愁傷さまです。十年前の私の父の葬儀のことが思い出されます。
   私の現在の状況は、「仕事が忙しい」という口実をつけ、なかなか法座などへの聞法に参加できていません。息子のことで悩んでいた頃、その苦しさから抜けたいと仏法の中にその答えを探していた頃の情熱が今は小さなものになってしまっています。三重県松林寺の森先生の主催する六月の聞法会に、やっとの思いで参加させているような状況です。通信の中で、江本さんがどんどん深まっておられる様子を拝察し、また、機会を得て、法話を伺いたいと思います。岐阜の田中さんや富山の中臣さんの法座に参加すればよいのですが、なかなか一歩ふみだせません。・・・・・  
                      愛知県みよし市 鈴木淳士

 ほかにもいくつもの礼状やお電話を賜りました。私においては皆様がお励まし下さり、私の中の法蔵菩薩様を護念してくださり、称讃してくださっているように感じさせられます。

 さて、八月に入り二か月ぶりの超願寺様の定例法座が勤まりました。このたびは岐阜の田中秀法さんのほかに名古屋市の谷口智子さん、春日井市の平松仁さんが泊りがけで二日三日聞法されました。四座それぞれ一時間半中休み無しでの法座でだれも寝ることなく疲れたという人もいませんでした。夜も十二時すぎるまで、朝も早くから、世間話はほとんどなく他力の信心に集中される白熱した不思議なご縁でした。
 谷口さんは浄土真宗のお寺生れですが在家の方とご縁があり結婚されました。全焼の火災にあい、その後ご主人さんが亡くなられ、アパートでご法座を開かれ歩んで来られたかたです。お若く見えますが七十才を過ぎられて、若い頃の事などが未解決なままになっているのが気にかかり出したとの事でした。仏法用語や論理はよく知り分けておられます。しかし、昔から言われてきた、薄紙一枚のところが超えられないという課題をもって来られたのです。
 対話のなかで印象に残った谷口さんのお言葉です。
 「私はずっと、私の理解した世界や感動した経験は光りであり、わからない未知の世界は不安であり闇であると何の疑いも無く信じて来ました。全く反対だったのですね。聞法によって、闇を少しずつ明るくしていく、罪を少しずつ軽くしてもらっていくものとばかり思っていました。全然ちがっていたのですね。・・・・・」顔が明るく成られたので驚きました。
  修(しゅう)諸功徳(しょくどく)の願(十九の願)諸々の功徳を積んで、人間の努力を積んでその先に救いにあずかる。臨終のときに救われる。それでもだめなら次の生でと期待していく。これはよくわかります。しかし、解決を先延ばしにしています。流転です。
植(じき)諸徳本(しょとくほん)の願(二十の願)念仏しながら諸々の徳を植えて救われようと励むありかた。これもよく了解できるありかたであります。
ところが親鸞聖人は念仏往生(十八の願)段々と積み重ねていくのではなく即(そく)得(とく)往生。「唯念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしとよき人のおおせをこうむりて信ずるほかに別の子細無きなり。」こころに念仏もうそうとする心が起こるとき、すでに摂取不捨の中にい抱(だ)きとられている。その心は人間の心ではないから。
そうなると人間の頭では分からなくなります。三十年以上昔に聞かせて頂いた句を思い出します。
   手はつけど 頭の高い 蛙(かえる)かな (十九の願)
   濡(ぬ)れていて 雨をほしがる 蛙かな (二十の願)
   力尽(つ)き  汲(く)み上げられし 蛙かな (十八の願)

  だれがつくられたか知りませんが、深い深い句であります。
 自分の本質の、あるいは正体を闇(無明・苦・悪人)と意識にのぼった時、本願の無限の光がとどいた時なのです。ところがそこから自分の分かる領域にもちかえて、頭で解釈し納得しようとする。頭で整理して、わかったつもりに成る。自分の頭がわかっただけですから、わかった主体は自分の自我の思い、考え、計らいでありますから、如来様にお礼はありません。頭は上ったままであります。まだ足りないとさらに知識、教養、学問を身に着けて助かろうとする。法を盗む、生きた法のはたらきをつかみ、握(にぎ)って離さない。それを仏智疑う罪深しと親鸞様が教えて下さっています。十九の願、二十の願を方便の願としてお教え下さる、深い慈悲心、大悲心・・・。親鸞様のご恩、如来大悲のご恩ははかりしれません。
ある時期よく大石先生が「わかっちゃいけんのよ」といわれました。なぜだかわかりませんでした。「どうして聞法してわかったら、いけんのか。」しかし、そのうち、わからなくなりました。次々と起こって来る事件の前に私がつかんで分かっている教学用語などこなごなに崩(くず)れてしまいました。そうすると先生は言われなくなりました。
また、研修会の大勢の参加者のまえで、「そこで江本さんはすぐに説明する」と先生は強くしかりました。私は自分勝手に「皆さんはさっぱりわからないだろう。私は少しは専門の知識があるから通訳の役目をしよう、大石先生はこういう事を言おうとされているのですよ。」と自分はわかっているつもりで言うていたのです。現に同行さん達から「江本さんが通訳をしてくれるから少しはわかる。助かります」という声もありましたので何の疑いも無く良いことをしているくらいに思っていたのです。先生も初めは辛抱されていたのでしょうが、たまりかねて声を出されたのです。今思えばまったくお門違(かどちが)いです。念仏往生していないものが、念仏の世界をわかったつもりになって上から教える立場でいい気になって言っていただけなのです。仏様、人様の頭の上に足をのせて何の恥ずるこころも無く、むしろ、俺は頭を下げているくらいにか思っていなかったのです。邪見驕慢の自分の姿など思いもよらぬことだったのです。
では、今は違うのか、いやいや、分かっていながらいつのまにか盗法罪の罪悪深重の私であります。しかし、であるからこそ、そういうありかたをしている私のすがたを照らして下さる光、お念仏に帰らされます。「お念仏は、お礼(曠劫(こうごう)いらい自分自身の姿を照らしくれているご恩)です。」と、大石先生が言われていたことです。曠劫以来真実の自分自身の姿を照らしてくれているのに、全く見ようとも、聞こうともせずに迷うて来た。迷っていることなど思いもせず。あらぬ方ばかり見たり、聞いたりして来たわけです。「念仏はお礼だなんて、そんな簡単なことくらいで本当に救われるのか」としか受け止められなかった私です。
 弥陀成仏のこのかたは 今に十劫(こう)(十劫の昔から、照らし呼びかけたまう)をへたまえり
 法身の光輪きわもなく 世の盲冥(私の事)を照らすなり
何万回と口ずさんできたご和讃ですがまったく気にもとめず、味わうことも無くすごしてきました。それが私の人生、生活だったのです。現に、今も
闇と光は同時なのです。紙の裏と表のごとく。『般若心経』では「色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)」という表現です。「形の世界は即、形の無い世界が現れている。形の無い世界は即、形の世界に現れてくる」浄土真宗では、「法性法(ほっしょうほっ)身(しん)から方便法(ほうべんほっ)身(しん)を生ず、方便法身から法性法身を出だす」南無阿弥陀仏は方便法身の尊形(そんぎょう)であります。念仏が口から出る、あるいは心に念仏もうすこころが起る時は、形の無い法性法身(真如、真実)がこころに如より来生されておられるのです。人間の考えでは及ばない崇高(すうこう)な、偉大な尊いことが凡夫の心身に発起して下さっているのです。
有難い(人間からは決して有るはずの無いこと)が事実として起っている。有難い事、もったいなきことが起っているのです。
「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり」
                                『歎異抄』第一章
形の方便をご縁として、形の無い無始曠劫の闇(人間の迷い・機の深信)と光(仏の本願・法の深信)が一体に成って下さる。その瞬間に、無始よりの悪業煩悩がそのままに海の水に溶かされてしまうのです。自分も摂取され、罪も跡形もなくなります。
蓮如上人が御文さまの中でおおせられている事実が、平成時代の今に実現されるのです。
無始いらいつくりと造る悪業煩悩を、願力不思議をもって消滅するいわれあるがゆえに正定聚不退のくらいに住すとなり
無限のいのちすなわち無量寿、無辺の光明との出遇い。そこに私、自我は消されてしまいます。海に川が入って、川の名前も、川もなくなります。海に摂取されて一つの世界であります。そうなっていのちは満足し安らぎ「こうなりたかったのか。」と、表現は出来ませんが、いのちがうなずかされます。顔や体の相が楽になり、のびやかになり、柔らかくなり、自由さや爽(さわ)やかさ軽安(きょうあん)のこころが味わえて来るのです。
前は固かった、力んでばかりいた、狭かった、硬く、窮屈で、暗くイライラばかり、そのくせ人に馬鹿にするな、負けんぞ、俺だってこれくらいはできるぞ、あわれみは受けんぞと、肩を張り、意地を張って力んでは空回り、独り相撲をとって疲れ果てていたのです。毎日が重く、暗く、なさけなく、ため息が出て、人を避け、人を自分自身を嫌って軽んじ、空(むな)しい孤立した人生だったのです。しかし、それは無駄でなかった。「あれあらばこそ本物の念仏者、空しさを超えた人生を歩まれた人を求めずにおれないようにして下さっていた。蔭(かげ)での法蔵菩薩様のご思案、ご苦労であったのか。如来様のお慈悲だった。」と過去が拝まれます。また、未来に対する恐れ、不安が起こることをご縁として、「浄土の光(智慧)と慈悲が拝される道あり。」木と炭のごとく自分の悪性、煩悩あればこそご本願の火は消えることなく燃え続けて下さる。順縁逆縁ともにお慈悲の中です。
 谷口智子さんのお礼状です。
   高岡での八,九の二日間は私にとって大変かけがえのない時間でした。
  私の言うこと、言えば言うほどすべてを否定され。初めて無明の闇へ落とされました。
  曠劫来の闇をさまよってきた自分のすがたを知らされ、ようやく仏さまに遇えたという感じでした。そして、長年の仏智疑惑が晴れました。
   「凡夫というは、無明煩悩われらが身に満ち満ちて欲も多く、いかり、はらだち、嫉(そね)み、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず、・・・・ 」これのみで生きてきました。
   まことに不思議なご縁を頂けたことをこころより喜んでおります。
  八月十二日
                                            合掌
 二十八日、ハガキの掲載の了承を得るためにお電話しましたら「あれからあらためて聖典を読むようになりました。以前と少しずつ味わいが変わってきています。大石先生の御本も何回も読んできましたが、ぜんぜん読めていませんでした。お礼の念仏と聞いても、ピンと来ていませんでした。深い味わいですね。」
「法蔵様の願が自分の業を燃料にしてはたらいてくれます。それの無い人は、しょぼくれていくのですよ。これからが楽しみです。また、お会いしましょう。」
 嬉しい後味のよい電話でした。
 「往生は、一人一人のしのぎなり。一人一人に仏法を信じて後生をたすかることなり。余所(よそ)ごとのように思うこと、且(か)つはわが身をしらぬ事なり」
                      蓮如上人御一代記聞書一七二

掲示板を書き変えました。

  南無阿弥陀仏様のお心は
   真の心の親様
   善知識様
   ご恩尊や 有り難や
   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
               常照
八月二十八日                                                             常照
 
 

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質問
通信第十七号 『摂取不捨の利益』
答え
    通信第十七号   摂取不捨の利益

 七月七日、朝の一時半ごろ、電話が鳴りました。父の様態が悪いとの事、病院へ二時到着、心肺停止、死因は肺炎でした。行年八十九才、法名 久遠院釋法深。七日通夜、八日密葬、二十日本葬。密葬から本葬の十一日間に、婦人会法要、皆作法要があります。おまけに庫裏が使えないためバザーの品が本堂の裏にたくさんあります。頭で考えるとパニック状態になります。
 この真っ只中(ただなか)にお出まし下さったのが、南無阿弥陀仏さまでありました。次々と起こる不安な心、いらだつ心、あわてる心すなわち妄念妄想で一杯になっている心の中に南無阿弥陀仏さまが出て下さり迷いの心を吸い取ってくれます。妙好人 浅原(あさはら)才(さい)市(いち)師のお言葉が生きて入って来ます。

  わたしは浮世に居るこた居るが
  こころ一つは親(如来)にとられて
才市はしやわせ如来さんに
  仕事をしてもろうてらくらくと
  浮世はたらけなむあみだぶと連れてはたらけよ

  称えてまいるじゃない
  おもうてまいるじゃない
  御六字に心とられて 
  まいるごくらく なむあみだぶつ

この心のはたらきを、蓮如上人の五帖目五通の御文さまには南無阿弥陀仏のすがたとして教えて下さっています。
「信心獲得というは、第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるというは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。・・・このおはたらきを『大無量寿経』にはもろもろの衆生をして功徳を成就せしめたもうと説(と)けり。されば無始いらいつくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく、願力不思議をもって消滅するいわれあるがゆえに、正定聚不退のくらいに住すとなり。これによりて、煩悩を断ぜずして涅槃をうといえるは、このこころなり。」

この心は人間に起こるけれども人間が自力で得る境地ではなくて、「弥陀如来の凡夫に廻向(えこう)(めぐらす、むかう)しましますこころなり」と他力のおはたらきであると申されています。

同じお心を清沢満之先生は

私が信ずるとはどんなことか、なぜそんなことをするのであるか、それにはどんな効能(利益)があるか、というような色々な点があります。先ずその効能を第一に申せば、この信ずるということには、私の煩悶苦悩が払い去らるる効能がある。あるいはこれを救済的効能と申しましょうか。とにかく、私が種々の刺激やら事情のために煩悶苦悩する場合に、この信念(信心・念仏)が心に現れ来る時は、私はたちまちにして安楽と平穏とを得るようになる。そのもようはどうかといえば、私の信念が現れ来るときは、その信念が心いっぱいになりて、他の妄念妄想を失わしむることである。いかなる刺激や事情が侵(おか)してきても、信念が現在している時には、その刺激や事情がちっとも煩悶苦悩を惹起(じゃっき)(引き起こすこと)することがないのである。私のごとき感じやすきもの、特に病気にて感情が過敏になりているものには、この信念というものがなかったならば、非常なる煩悶苦悩を免(まぬが)れぬことと思われる。健康な人にても苦悩の多き人には、ぜひこの信念が必要であると思われる。
                              「我信念」

私は父に似て感情が過敏で神経質です。しかも粘着性が強くていつまでもこだわり、引きずるタイプです。だからこそ、お念仏、他力の信心が身にしみて有難いのです。ここにおいて私の先祖からの業はすべて完全肯定させられます。
さて、親鸞聖人のお教えはこういうところをいかに仰せられているのでしょうか。

凡夫というは、無明煩悩われらが身に満ち満ちて、欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず、と水(貪欲(とんよく))火(瞋恚(しんに))二河のたとえにあらわれたり。かかるあさましきわれら、願力の白道を一分二分、ようようあゆみゆけば、弥陀如来とおなじく、かの正覚のはなに化生して、大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。
                          「一念多念文意」
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃をうるなり。
凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば、衆水、海に入りて一味なるがごとし。
摂取の心光、常に照護したまう。すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆(おお)えり。
たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下、明らかにして暗きことなきがごとし。
                              『正信偈』
    

 摂取不捨の大利益のお蔭によりまして、私においては後味のよいご葬儀が成されました。摂取不捨の世界は通信十六号に書かせていただきました無明住地の機の深信の世界と法の深信の世界の機法一体の南無阿弥陀仏のおはたらきであります。
無明の因は私たちの意識無意識を超えた、すなわち三界の外にあります。だから私どもには手の届かない絶対に解らない世界にあるのです。それに目覚めさせ救い取りたいとの願いを弥陀の誓願不思議と申されていたのです。『歎異抄』では一番最初に出て来ます。
 
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益にあずけしめたまうなり。

いつも摂取不捨の中に生かされているのですが我執の計らいが邪魔をしてなきものとしています。たとえば息をしていて当然、手足が動くことは当然としているように。      
思いもよらない事件や悲劇に遇い、日頃の心の常識や人間の考えやそれまで生きて来た体験では及ばない壁にぶち当たった時、摂取不捨の生きたおはたらきがお念仏となってたすけて下さるのです。しかし、これもひごろの聞法のお蔭があってこそではないでしょうか。
『歎異抄』には
日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまらするをこそ、回心とはもうしそうらえ。
私はこのたびの父の葬儀を通してこのことを見せて頂きました。私の心にはお念仏する性根は絶対に無かった。浄土を願う心は絶対に無かった、今も、これからも。この事実を知らされれば知らされるほどお念仏をすすめて下さった方々のご恩、その背後の仏様の五劫思惟、兆歳永劫のご修行の御苦労のご恩が味わわされて来ます。ただ念仏一つの広大なる背景であります。
九年前、亡くなる直前に吉粼ハツノ同行さんが「お念仏だった、あんたもここへ帰ってきなさいよ」と言って下さり、大石先生に報告すると「その通り」とおっしゃられたことが今また生きてよみがえって来ます。
さて、今年の夏は機縁熟して三十年間以上本棚に眠っていた山辺習学著「『華厳経(けごんぎょう)』の世界」と古本で取り寄せた鈴木大拙編著 「妙好人 浅原才市集」にお育てを頂いています。摂取不捨の世界と光明の世界を山辺先生は言葉にして下さっています。
  親鸞聖人のことばの中に「真実の信心というも金剛堅固の信心と申すも摂取不捨のゆえに申すなり」ときわめて明確に、信の獲得(ぎゃくとく)というよりはむしろ仏の胸に抱かれるということをはっきりといい出している。それゆえにわれわれが信を獲たというよりはむしろ仏につかまえられたという方が適当であり、あるいはまた仏の光がわれわれの心の奥にしみこんできて、それが「つねに」あるということになるのである。かならずしも聖者や妙好人のように、意識的にしじゅう現在しているというのでない。けれども価値としてはそれに同じである。そうでなければ宗教というものにはならない。ただある偉い人が精神上のある境地をつかんだというくらいのことであって、それは特別な専門家の所得に過ぎない。聖者や妙好人のようなふうにいかないでも、わらわれが凡人としてあたりまえの世間の生活をしながら、その根底に貫くものがあって、それに「常有光明」の価値があればよい。すなわち般若の智慧、ここにいうところの「叡智の光」は、われわれがいままで座っていた自我の座を奪って座る。これまでの自己というものが、逆に向こうの方から駆逐(くちく)されるようになる。その般若の光なるものは絶対のものであって、何ものにも煩わされるものではない。

葬儀が終わり、後片付け、御礼回り、事務手続き等させて頂く中で、私でないお念仏
さまと共にというような感じがあり何か安らぎと満足があります。
こうして私どもの事件の中にそれが大きければ大きい程、多ければ多い程、強く深く大きく本願他力の大利益が働いて下さります。そうでなければ難中の難、聞いても聞いても難しい。聞けば聞くほど解らない他力の教えが不思議にも国を超え、時代を超えて伝わって行くはずはないでしょう。
ところが、事がおさまり何時もの日常生活にもどると何もなかったかのようです。「浄土論註」の中にカラクラ虫のお譬(たと)えがあります、風の大きさに合せて大きくなったり小さくなったりすると。
次から次に押し寄せて来る人生の業の波の中で、真実のよりどころ、帰る世界を求めずにはおられません。どんなご本願の風が吹くのか。・・・・・
私はお念仏一つのお蔭で、摂取不捨の利益にあずかり、空しくない人生が与えられることをこのたびの父のご葬儀をご縁として知らされました。
合掌
平成二十九年八月七日
                                   常照





                             
                       
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質問
通信第四
答え
「南無阿弥陀仏に救われて」

  信心獲得すというは、第十八の願をこころうるなり(心に得るなり)。この願をこころうるというは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。〜 。されば無始いらいつくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく、願力不思議をもって消滅するいわれあるがゆえに、正定聚不退のくらいに住すとなり。これによりて、煩悩を断ぜずして涅槃をうといえるは、このこころなり。
        蓮如上人作お文、五帖目五通。聖典834頁
 
私は長い間このお文様を味わうことができませんでした。しかし、お念仏が智慧の念仏に成ってから変わって来ました。
 智慧とは光です。親鸞様は
 
 無碍の光明(南無阿弥陀仏)は無明の闇を破する慧日なり。〜〜
   円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智                                 
                            聖典149頁 
 
とお教え下さっていました。つまり、智慧の念仏は、私の我執(無始以来から作ってきた悪業煩悩)から出るはからいや妄念妄想を破り消滅してくださり、光明土の浄土へと歩みを転じ導いて下さる。という事実が生活の中で現れてくださいます。人生が明るくなった感じがします。前の自分だったら暗く落ち込むところを落ち込まずに停滞することなく前進させられます。自分の力でなく智慧の念仏、他力のお蔭であります。
十年前、一日生きるのがやっとと言う日々を送っていたときです。眠ったらすべてわすれて楽になる、朝が来なければいいのにと思いつつ寝ても朝になります。目が覚めます、一秒立つか経たないかの一瞬言葉がありません。そして言葉が頭に浮かんだ瞬間に身体中が不安と苦しみにさいなまれて心臓や身体中の血液が異常な状態になりました。裁きのない浄土の世界と裁きあいの穢土の世界の分岐点です。言葉の無い世界になろうとしてアルコールやギャンブルや危険ドラックに手を出す人がいるかもしれません。そういう意味で「宗教はアヘンだ」とマルクス(社会主義の理論学者)は言ったのかもしれません。
浄土真宗はそういうこととはちがうのです。飛躍の救いがあります。相手を変えるのでなく、階級闘争するのではなく執着が破られ、高次元の境地へと転じられたところからくる深い報謝、感謝と懺悔の生活が基本となっています。未来(浄土、光明土)、現在(浄土、光明土へ向かっての人生)、過去(暗かったこと、苦しかったこともそのためだったという意義を見出せる)が明るくなります。むなしくなく生きてゆける心のよりどころの教えです。
 しかし、他力の教えは、世間一般では理解されず、おすすめしても誤解されたり、反感をかうことさえあります。そのたびに言い訳をしたり、誤解を解こうとしてますます誤解されるということがよくありました。人間心ならさっさと止めてしまいます。続きません。
ところが、励まして下さるお同行の方々もおられます。先輩方、先生方のご苦労がしのばれます。深くはその方々の背後にはたらいておられる法蔵菩薩様のご苦労に帰らされます。
 去る人もあり、来る人もあります。「去る者は追わず、来るものは拒まず」と信国淳先生が仰せられたと聞きます。聞法会に来られなくなる方もおり、新しく参加される方もおられます。ご門徒を去る方々もあり、新しく入られる方もあります。それが生きているということでありましょうか。

― それはそれとして ―

四十年前、大学生のころ私は悩んで大徳寺(臨済宗、一休禅師ゆかりの寺)のある塔頭(たっちゅう、寺院のなかにある坊)に入って居ました。友人から
「〝それはそれとして〟という哲学があるそうやで」
「だれがいうとるの」
「誰か知らないけど京都大学の人らしい」
私は不器用で一つの壁に当たると超えられずに人一倍に悩むタイプです。そのころは、何がフイクション(そらごと)で何が真実なのかがわからず、はっきりしたい。そらごとならそのように生きるためには映画や作家の世界で生きようかともがいていました。現在は親鸞様のお教えのお蔭で、真実なる世界、仮なる世界、偽なる世界を知らされ楽になりました。
友人が言っていた誰かというのは鈴木大拙先生でした。今年富山の超願寺さんで朝の心の時代のテレビを見て知りました。夫婦喧嘩して腹の虫がおさまらない二人が先生にそれぞれ訴えます、じっくり二人の言い分を聞いてから
「それはそれとして」
とおっしゃったのです。自分の業と立場からはそれぞれの言い分が成り立ちます。立っているところで見える風景が違うのです。うそを言っているのではありません。男と女の業、職業、政治家、与党野党みな業と立場がちがうのです。それはそれとして、向かう方向があるのか。そこが大事な問題です。そこが深くあるかないかで事件のあとの有り様がちがってきます。
 『大無量寿経』に

 善人(浄土への方向を知っている人・他力の人)は善を行じて、楽より楽に入り明より明に入る。悪人(方向の無い人・自力の人)は悪を行じて、苦より苦に入り冥(みょう・暗くて見えない)より冥に入る。誰かよく知れる者。独り仏のみ知ろしめせり
                             聖典75頁

 浄土真宗は聞法を大事にして来た伝統があります。またそれ故にたんなる有り難いお話として受け止められて来た傾向が残念ながらあります。また、そういう布教使も多々おられます。名が残るような先生方やお同行様は実践の生活があり人生があります。そうでないと響いて来ません。
 明治の親鸞と言われた清沢満之先生は「他力の救済」の中で実験された故の表現がよく現されています。意訳しますと、

「お念仏するときは、道が開かれ、忘れるときは道が閉じる。」
「お念仏するときは、物欲のために迷わされることが少なく、忘れるときは物欲に迷わされることが多い」
「お念仏するときは、光明に照らされる、忘れるときは黒暗に覆われる。お念仏は迷倒苦悶の娑婆を脱して、悟達安楽の浄土に住しているようである。私はこのお念仏によって現実の中で救済されつつあるを感ずる。
  もしこの世にお念仏の教えがなかったならば、私においては自分の妄想分別によって心が乱れ苦しみ悶えての人生で終わったであろう。しかるにお念仏の教えのお蔭で執着とすさまじい欲望の流れの中にあって、すみやかに迷倒苦悶の心が消され広々とした海のような心境が恵まれるそのご恩は人間の感謝や賞賛の言葉で表すことはできない。」
                 「清沢満之のことば」52頁永田文昌堂

現代の日本人は学校教育が行き届き、科学の進歩で便利な生
活を送っています。しかし、心が冷えていたり、暗かったり、貧しいという事件が後を絶ちません。心をおろそかにしている、お念仏を忘れていると言いたいところであります。
 また、変革とか改革といっては相手や周りを変える事ばかりの議論は盛んですが、自分が先に変革されていくかが大事なことではないでしょうか。私自身悩み苦しんでいるときはその事件や相手を変えよう消そうとして解決が着かないままずるずると先延ばしにして来ました。先ず自分が先に消される、すると相手も消えます。順序が逆だったのです。自利利他円満。自らが先に救われることだったのです。相手のせいではなかったのです。その方や事件がご因縁となってためしてくださっていたのです。生きた実験だったのです。
 
 ― 親心 ―

 有名な物理学者であるアインシュタイン師が日本に来られた時、仏教のことを聞きたいということで紹介されたのが、近角常観先生でした。先生は「親心」についてよくお話をされました。そのお譬えとして、姥捨山(うばすてやま)のことを話されたそうです。かいつまんで申しますと 
 貧しい時代の日本、とくに東北地方の冬は雪に覆われて働くことができません。子供がたくさんおる中で働きの出来ない老人が口減らしのためにある年齢になると村のおきてとして山に捨てられました。その村の老婆も年齢に達しているのに息子は捨てにいくことをためらっていました。母は元気がよく歯が丈夫だから老人に見えないからと石でたたいて歯を抜きました。とうとう息子は決心します。前夜は村人に白ごはんや酒をふるまいます。老婆がいいます。
「わしは今晩のためにこつこつと貯めて来た、さあ一杯に召し上がってくれ」
久々の酒やご馳走に村人は喜びました。宴が終り村の長老に山の捨て場への道を聞きました。
明朝となり、背負子に母を乗せ担ぎます。軽くなった母、感慨にふけっていると、ちょうど雪が降り出しました。母は喜びます。雪が降れば山道を後もどり出来ないからです。息子はどんどん山を登って行きます。すると、背中の上で妙な音がします。母が何かしている、もっと奥へ運ぼうとしてさらに奥まで行き、ここまでというところで母を降ろします。
「母ちゃんこれ」
と、白ごはんのおむすびの包みを渡します。
「馬鹿、わしはすぐに死ぬ。今まで何度も食べた、お前が食べ」
息子と押し問答のあげく、母は息子の胸元におむすびの包みをねじ入れました。
「じゃっ」
と、後ろを向いて数歩あるいたところで 
「まて」
こまった、命乞いでもされたら蹴飛ばしてでも行かないと、と思いつつ
「なんじゃ」
「気を付けて、迷わずに家へ帰れよ」
「わかっとるよ」
「あのな、道が二又、三又に分かれているところがある。その時は気を付けてまわりを見ろ、帰る方に向けて木の枝を折っとるから」
息子の足が止まり動かなくなりました。しばらくして息子は引きかえし
「母ちゃんもう一回乗れ。たとえ村八分になってもいい。死ぬまでいっしょに暮らそう」
と。母を担いで家に帰った。

これを聞いたアインシュタインは「ワンダフル」と言ったということを大石先生から何度も聞きました。
しかし、これを聞いて多くの人が親の方の立場にたって感情的に感動するが、親を捨てる息子(罪悪深重の罪人)の方に自分を見るということにはならない。背負う覚悟に立つことが難中の難であるとも大石先生は言われたことが強く記憶に残っています。
 仏様(親様)をいつも自分の都合で忘れ、捨てている自分の姿を知らない、と。
 聞法される方は私の若い時代から少なかったですが、ますます少なくなってきました。『大無量寿経』の終わりに

  当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲哀愍をもって特にこの    
 経を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありてこの経
 にあう者は、意の所願にしたがいてみな得度すべし。

本願に救われ本願に生きられた先生、同行様に遇わなければ私のような機根の弱い者は到底この道は歩めるものではありません。つくづく幸運であったと改めて知らされるこの頃であります。微力ながら与えられたご因縁の中で跡につづかせて頂く所存であります。ご縁の皆様お育てのことお願い申し上げます。

平成二十七年十月二十八日
                                常照

 訂正、前号の中で池田寂光さまの初めのご主人さまが元首相の宮沢喜一氏と大学時代同級生とありましたが同じ広島で東大出身ですが年代が違っていました。次のご主人様は若いときは厳しかったが年老いてからは人が変わったように穏やかな人生を送られ六十九才で亡くなられたとのことです。
   

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  野菜は夜育つ
  人間は苦労と聞法で育てられる

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質問
通信第五
答え
通信第五  「湯の心」
 
 二十年くらい前でしょうか。大石先生から氷の心、水の心、湯の心のお譬えをもって如来の大慈悲を教えて頂きました。
 曇鸞様の教えに
大慈悲こそは仏道の正因である。正道の大慈悲というのは、慈悲にはそれをおこすのに三種の縁がある。
 一には、衆生を縁としておこす慈悲、これは小悲である。
 二には、法を縁としておこす慈悲、これは中悲である。
 三には、縁なくしておこす慈悲、これが大悲である。
 大悲はすなわち世を超え出た善である。安養浄土は、この大悲より生ずる。だからこの大悲をもって浄土の根本とするのである。
        「解読浄土論註」上巻 四十一頁

 ここで教えを私なりに味わわせていただきますと、
小悲に衆生縁の慈悲、十九の願、氷の心
中悲に法縁の慈悲、二十の願、水の心
大悲に無縁の慈悲、十八の願、湯の心
私の歩みから見ますと、大学時代の終わりに、ボランティアで障害者の就職探しや釜ヶ崎の炊き出しにいきましたが私の場合は上から目線の、可哀そうだからやむにやまれずしてあげるという姿勢でした。したがって続きませんでした。就職してからもカンボジア支援の募金などをしましたが心は満たされませんでした。心は氷でした。また氷の自覚もありませんでした。
藤谷秀道先生との出会いから真宗の教法を中心とした本をよく読みました。藤谷先生の背後に湯の心を感じ、先生の所へ行くと不思議に心の氷が溶かされる事実がありました。人間関係で傷ついた心が癒され、怨み憎しみの心が帰り道に消えている事実が不思議でなりませんでした。心が感動で温くなり生きる意欲が出ました。しかし、何日かすると冷えてしまいます。二年間はそのくりかえしでした。藤谷先生がお亡くなりになった後、聞法は続けましたが慈悲を感ずるということはありませんでした。私は業の強く深い重病人です。
親鸞様は信の巻に『涅槃経』をひかれて
世間に療治のできない三人の病人がある。一人は大乗の教えを誹謗するもの、一人は五逆罪をつくるもの、一人は一闡提(せんだい)(断善根、信不具足)である。この三人の病気は、世間では、一番重い病気であって、声聞、縁覚、菩薩の三乗教の聖者ではとても療治することはできないのである。譬えてみると、重病にかかって、死ぬに決まっている病人があるとしても、もし名医と上手な看病人があって、良薬があれば助かるが、そうでなく、医者も看病人もなく、気休めの薬を出すようではとても助かることが無いようなものである。今この三病人も 仏菩薩(十八願の世界・筆者注)から、仏隨自意(仏が自在に説かれる法・筆者注)の一乗の法を聞いて、菩提心(他力回向の信心)を得れば助かるが、声聞、縁覚、菩薩の三乗の法を聞いても菩提心を起すことも出来ず又助かる見込みはないのである。
「教行信証講義」信証の巻・八七〇頁・山辺習学・赤沼智善著

次に私は大石先生との出会いによって、教法を縁とした生き方や生活の上での実践を大事にするように育てて頂きました。このお蔭で外に向いていた眼が少しずつ内を見させて頂くように成らされました。妻との喧嘩も随分減りました。喧嘩しても戻る時間が早くなりました。水の心と氷の心と往ったり来たりです。
さて、湯の心は重大問題です。人間ということを手がかりとして、人間を超えた如来のみ心を頂くのですから、人間の努力からは出てきません、お手上げです。
訓覇信雄先生は妙好人の教えとして
「にぎって、離して、向こうから」と、端的に言われていました。
『歎異抄』第四条に
慈悲に聖道浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども思うがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。また浄土の慈悲というは、念仏していそぎ仏になりて、大慈大悲心をもておもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生にいかにいとおし不便(ふびん)とおもうとも存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば念仏申すのみぞすえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと、云々。
二十願の念仏の心と十八願の念仏の心は顕(あきら)かにちがいます。
花田正夫先生は
念仏して悪をやめようとか、善くなろうとか、助けて頂こうといったふうな、目的達成のためにする自力の念仏の心を根こそぎ砕破されるのである。
『歎異抄』―わが身読記―一八九頁

とはっきりと教えてくださっています。
 我執法執を根拠に人間の世界から唱える自力の念仏(二十願)と十八願の他力の念仏とどこがちがうのか。比叡山にも念仏があり、禅宗にも念仏がありました。今でもあります。
 法然様が本願念仏を顕(あき)かにされ、親鸞様が随順していかれた念仏の世界、念仏の心とは
 曽我量深先生の有名なお言葉に
「如来我と成りて我を救いたもう されど我は如来にあらず」
ずっと一貫して流れている仏の願いが伝わって来ます。出どころがちがいます。人間の我執、法執のはからいから出ているのか、一如法界から来るのか。

 さて、私にはどうしても聞こえなかった坂木恵定先生のお教えがあります。
「飢児の食を奪い、耕夫の鋤を奪う そこに慈悲がある」
 真宗の寺にね、そんな病気がようなるとか、金が貯まるとか、そんなこと聞いてくれる仏さんな一人もおらんわ。知らーん顔しとる。そうやろ。これどういうがやね。人間の言うこと聞かんわけや。聞かんのが慈悲なんです。そんで、このひもじい飢児(きじ)、飢児というたらひもじい子供や。「飢児の食を奪い」腹減ってどうも出来んから、そこへお結びをやると。それを横から取っていく人が仏さんやと。「耕夫の鋤を奪う」耕しとる農夫のその鋤を横から取っていくというんです。奪う。「そこに慈悲がある」と言うんですね。そこに慈悲がある。
 我々のはそうじゃないです。「困ったことが起きた、困ったことが起きた」と。そうじゃないんです。困ったことは一つも無いです、ここに。人生困ったことは一つも無いです。問題一つも無い。我が身が問題を・・・、問題にしとるわけや。面憎いと、面憎い人間がおるわけはないんです。それはご縁にはなるわね、面憎い人間は。ご縁になるけれど、因はここ(自分の胸)にあるんです。因は面憎い人間を拵(こしら)えるわけなんですよ。そうじやないんです。面憎いということは、自分の注文に応じんということなんです。ところが自分の注文に応じる者が仏じゃないんです。注文に応じん仏が面憎い人間になって現れてきとる。そういうがや。
 それで、わしはいつも言うように、畑へ行くとみんなこういう棒をさすやろ。畑にキュウリを作るときに支柱を立てる。支柱を打ち込む。打ち込んでね、「もう終わった」と思う時に、後からこうちょっと揺さぶってみるやろ。何で揺さぶって見るがや。しっかり入っとるか入っとらんかということなんや。それで、面憎い人間が揺さぶってくれるがやこっちを。「本当か」「お前息災かどうか」っていうこと、揺さぶってくれるがや。それを逆に取るさかい駄目なんや。すべて無駄事は一つも無いんですね。それを知らんがや。
 (大垣別院「仏教公開講座」昭和六十年九月一八日のご法話)

坂木先生のご自坊、石川県白山市の妙蓮寺へはじめてお伺いした時、玄関一杯に「無事」と書かれた先生ご揮毫(きごう)のついたてがあったことを思い出します。
 大石先生は色紙に
一番苦手な人が
私の憍慢を知らせて下さる
佛様です

と書いて下さいました。
「自己とは何ぞや。これ人生の根本問題なり」とは清沢満之先生のお教えです。
自分が自分に遇うということが難の中の難であります。それも聞法がないと問題になりません。我欲が満足すれば幸せだと思うのが人間ですから。でもそれは氷の心です。仏の慈悲に遇わないと氷の心の自分には気が付かないという盲点が人間にはあります。
 親鸞様が愚(ぐ)禿(とく)と名乗られたこと、蓮如様が末代無智のともがらと無智のところに立たれておられること、法然様は愚痴の法然房、良寛様は大愚良寛と自己に出遭われた名乗りをしておられます。
仏様の慈悲と智慧に遇うということは自己に遇うと同じ事なのでしょう。宿業と本願。機法一体。親の無い児は無く、児のない親も無いごとくです。
 児が生まれることと親に成らされるのは同時誕生であります。
氷の心の自覚と仏の慈悲の自覚は同時誕生であります。
 罪悪深重、煩悩熾盛の衆生の自覚と本願の救いとは同時誕生であります。
「歎異抄」後序にあります、
「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」と「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」は同時誕生であります。
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに」と「ただ念仏のみぞまことにておわします」は同時誕生であります。
香樹院様は機の深信が他力であることを次の句に込めて教えてくれられました。

松陰の暗きは月の光かな
実に深く尊いみ教えであります。一休禅師が真っ黒のカラスを見て目覚めたことと通じています。釈尊の十二支縁起(無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・手・有・生・老死)の根源は無明であす。無明を無明と目覚めることが光であります。自分を憑(たのむ)善人は暗く、暗闇から暗闇であります。己の無智、無明、氷の心に目覚めた悪人は明るみから、明るみへの歩みが出て来るのです。

「見たてまつる」
『十地経』という菩薩の歩みが説かれているお経の中に、七地(遠行地)の処まで境地が進むと、沈空の難といって、目的を失い、空しさに沈み込むという難関の壁に突き当たります。ここからは自力の努力やそれまでの経験では及ばない世界であります。菩薩の死ともいわれています。ここでの苦闘が七高僧様に一貫してあります。
 『十地経』では八地(不動地)そこからいよいよ人間の手垢のつかない本願の世界であります。
 親鸞様は
本願力にあいぬれば 
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 
煩悩の濁水へだてなし
       天親菩薩和讃・聖典四九〇頁

と空しさを超えられた慶びを歌われています。
 では七地(遠行地)から八地(不動地)への大転換に何があるのか。
阿弥陀仏を見たてまつるものと諸仏の励ましによってこの難をまぬがれるとあります。

 菩薩は七地の位に入って沈空の難というのがある。この大難関にあたって、煩悩が尽きて、寂滅を得る時、その寂滅に執着して、上に仏果の大涅槃を求むる心もなくなり、下は衆生を済度すべきことをも忘れてしまい、いよいよ向上すべき仏道をすてて、現実の涅槃に満足するようになる。この時に、十方の諸仏方が威神力を加えて勤めはげまして下さらなければ、涅槃に入って、声聞縁覚の二乗と異なることがないようになるのである。もし菩薩にしてこの時、安楽世界に往生して、阿弥陀如来を見たてまつれば、この沈空の難を免れるのである。
 山辺習学・赤沼智善著「教行信証」講義・信証の巻一〇一九頁

 見るという姿勢と見たてまつるとは大きなちがいがあります。眼は眼自身を見えない如く、剣は自らの剣自身を斬れない如く。人間(自分)が人間(自分)自身を見れない。自分に都合よくしか見れない。凡夫とか罪悪深重の衆生として自分自身が見えることはあり得ないことです。それが見えたり受け止められるのは如来の威神力でありましょう。見たてまつると如来様に主体があるから尊敬語の使い方をしているのでありましょう。
 ひとたび罪悪深重の自身に出遭うとそれを照らした慈悲の光を仰ぐようになります。浄土が帰る世界になります。
 先日、温泉でまったく星一つない闇空をじっと見つめていると満天の星空が浮かんできました。それは一度は満天の星空を見たことがあったからです。
 「浄土はあるのですよ。」と確信をもって育てて下さった先生(善知識様)に御縁があったことは計り知れないご恩であります。聞いている時はぜんぜん分からなくてもそういう精神世界があるに違いないと感じさせられ導き育てて頂いたからです。そして時が熟してくると自然にうなずかされます。
 親鸞聖人が「正信偈」の中で
 摂取の心光、常に照護したまう。すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。
 たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下、明かにして闇きことなきがごとし。
                聖典二〇四頁

 極重の悪人は、ただ仏を称すべし。
我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障(さ)えて見たてまつらずといえども、
大悲倦(ものう)きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。
聖典二〇七頁
 
貪欲と瞋恚の荒れ狂う煩悩の生活において、如来は常に私を慈しみ悲しみ照らし、護って下さっているという事実であります。
私の思いや感情や意欲が浮いても沈んでも如来の大慈悲心の中、私が喜んでも悲しんでも如来の大悲心の中です。
 正(まさ)に

  如来大悲の恩徳は
  身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も
  ほねをくだきても謝すべし
であります。
 毎日、毎日が新たに、新たに試され、励まされ浄土への空しくない歩みのスタートであります。
二〇一六(平成二十八)年正月
                           常照
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質問
通信第六「往生と成仏」
答え
通信第六 「往生と成仏」

聞法を初めてから四十年近くになりますがようやくと言いましょうか。因縁熟して「往生と成仏」ということを驚きと感激をもって書かされています。これもひとえによき師、よき先輩、お同行様方のお育てのお蔭、ご苦労のお蔭であります。さらに背後に如来様のご本願が生きてはたらかれているお蔭であります。
私は往生と成仏の区別が問題にならず軽く済ませてきました。世間では「往生した」ということは「大変なことだった」という受け止め方が通常となっています。それはおかしい事と言ったり、往生の英語訳はニューバースと訳され新しく生まれるという意味であることなどは人間の解釈の立場でお話をさせて頂いていました。
しかし、全く次元を超えた精神界でありました。浄土真宗、親鸞様にとっては往生の問題は命懸けの課題でありました。
 「今は念仏、往生は未来、と解釈されてあるが、そうでないと思う」「何もかも死んでから死んでからと言う。いつ死んでも有り難い所へ往くと言うが、死なぬ中に有難い。そこに行かなければ嘘だ」「往生も成仏も未来と言うなら、成仏を証明出来ない。往生は現代だから、未来に成仏する証拠がある。これが浄土真宗の教えである」
「横超の生活を往生という。往は往く。往くは前進する。前に切って進むことは横さまに超える。生は生きる、真実に生きる。真実に生きることを往生という」「現生において往生する、それを〝願えばすなわち浄土常に居(こ)す〟と善導大師は仰せられた」「親鸞聖人の御心を我々は明かにしてゆかねばならぬ。今は真宗第二の再興の時である。今のような浄土真宗なら滅亡する。何のために親鸞聖人(誕生)八〇〇年行事をするのか」
「親鸞の大地」―曽我量深随聞日録― 津曲淳三著八十九頁
四十九年前の十月二十八日に曽我量深先生が東京の築地本願寺においてなされたご法話です。現在の真宗寺院が置かれている状況は当時よりもはるかに深刻であります。第三の浄土真宗再興の時代であります。     
さらに、十一月一日。曽我量深先生、静岡県浜松市 善正寺様でのご法話
「往生の〝生〟は〝生まれる〟と言うておるのだが、〝生きる〟ということだと読みかえて、往生は、信心に新たに開けた精神生活であると、今までの講釈の方向を変えたらどうか」「我々はただ甘えて、信心決定した者は仏に護って頂くというだけではいかん。仏は仏としてお護り下さるだろうけれども、我々は甘えておるべきでない。仏のおたすけを頂いたら独立者になる意気込みをもって生きる、本当に生きる。社会のため世界のため人類のため奮闘努力してゆく」「仏がそれだけの力を加えて下さることはあっても、それだけを当てにするのでなく、念仏あり仏恩報謝があるから自分は自分で大いに仏法のために働いてゆくという自覚をもってゆかなければならぬ。浄土真宗の中にそういう心構えを決めてゆく必要が今の時代にある」「自分の生活の上に仏法を生かしてゆく、仏法によって自分の生活を高めてゆくという方面の教えというものをもっともっと明らかにしてゆく必要があると思う」「皆の人が心を合わせて新しい浄土真宗を再興する、皆が手をつないで浄土真宗の教えを再興しなければならぬ時代が来た」
「親鸞の大地」―曽我量深随聞録―  津曲淳三著一一二頁
浄土真宗の教えを聞き続けて本当に救われる人が出てきているのか。救われた生活はどういう生活なのか。若者から問われています。有縁の方々からも厳しく問われて来ました。私自身なかなか心もとないありさまであります。そういう中でこの通信を書かせて頂いたりしています。通信第五信には元気づけられるお便りを頂きました。
今回は掲載の許可を得ましたので六人の同行さんのお便りを紹介させて頂きます。一人は広島県安芸高田市の水野ウタ子(八十八才)です。
 新年元旦の縁に通信を届けていただいた事、とても有難く何度も何度も味わせて頂きました。今、また、お礼を書かせて頂く前も、読ませて頂いています。
 七地沈空の域にも達しない自分ですけど、こうして送ってくださって、読ませて頂くことが有難いです。感謝です。
 「如来 我となって 我を救いたもう、されど、我は如来にあらず」との教え  〜
お礼の言葉が遅れましたけど、その分、味読する時間を頂きました。ありがたいです。本年もどうぞお導き下さいますようお願い申し上げます。
         南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 
 平成二十八年一月八日 朝五時

ご高齢の同行さん方が多いのですが心が元気です。温かく熱く光があります。認知対策がいろいろ世間で行われていますが一番の根本、基本の基本を親鸞様やお釈迦様、先生方。そして名もなき同行様方が教え証明して下さっているように私は見させて頂いています。
次は岐阜市の林 芳美さんです。
 南無阿弥陀仏
新しい年を迎えられまして心よりお慶び申し上げます。
早々に通信五号お送り頂きまして有難うございました。厚くお礼申しあげます。
 何時もは無礼ばかりして居りまして申し訳ありません。早速一気に読ませて頂きとても感動し何度も読ませて頂いて居ります。丁度私の長年の家庭内の人間関係の悩みに当たるところを教えて下さっているからです。
 何時も嫁に何かを言われると言い返しは負けるので黙していますが部屋に帰ると清沢先生の「精神主義」や坂木先生の「それでいいがや」その他の本を読まずにいられません。清沢先生は「苦悩の因は自己の妄念にあり」と教えて下さっています。
 日常色々刺激を受けてお念仏に帰る時、今どこに立っているか問われます。この度、坂木先生の
「飢児(きじ)の食を奪い、耕夫の鋤(すき)を奪う。そこに慈悲がある」
「苦しみはお慈悲である」
に感動致しました。私は苦しみは避けたいばかり
で相手を攻めようとします。
 八日の朝、目が覚めた時、フッと頭に浮かんだのは「苦しみは仏様のご廻向だ」と思った瞬間、スーとモヤモヤが消えスーと明るくなった感じでした。何だか不思議でした。
 現世利益和讃にあるように諸仏菩薩の化身に陰の如く見護られ生かされている身だとようやく知らされる様になりました。
 通信の最後に「私の思いや、感情が浮いても沈んでも如来の大悲心の中、喜んでも悲しんでも大悲の中です。」とありますがお任せの中ですね。金子大榮先生は「人間に生まれた有り難さ、仏法に遇えた忝(かたじけな)さ、今日を生きる勿体なさです」と教えて下さっています。謝しても謝し得ない恩徳を忘れて居ります。
 残された命は眼の前です。人間関係で悩んでいる様な余裕はないです。本当にお導き有難うございました。今年もお導き宜しくお願い申し上げます。
一月九日
 林さんは初一念のスタートを得られたと思われます。これから信心の生活が始まるのでありましょう。それは最近いただいた葉書に現れています。
 南無阿弥陀仏
この冬は暖冬で暮しには楽でしたが急な寒さと
大雪で各地驚きです。今朝(二十日)八センチでした。通信五号のお教え有難うございました。
 それに回心体験でしょうか。不思議な感覚を賜りました。苦しみは目覚めよとのご廻向であり、諸仏菩薩が化身となって護って下さっていると教えられました。一日々 今を頂き、法蔵菩薩の御修行と仰いで生きさせて頂きたいと願っています。
 それから私の手紙、通信に載せさせて頂けるとの事。恥ずかしく恐縮ですが何かのご縁になればうれしいですお願いします。
 長生きさせて頂き、皆にお世話になって暇があるので仏書に親しんで居ります。お導きの程宜しくお願い申し上げます。
 寒さ厳しい中御法体お大切になさって下さいませ                   合掌
 このような事実のお便りに私の方がどれほど力を頂き救われるか知れません。
次は愛知県刈谷市の酒井笑子さんです。
「私の眼」―自分を前へ出すと自分が苦しいー
私の眼はいつも外に向かっている。病院にいるときも、体操に行っている時も。あの人、この人、あの歩き方、あの服装、あの顔、あの髪型と。自分のことは何もわかっていないのに。いつも人と見くらべている。家庭でも記念館でも。「あゝ言われた、あの言い方、こう言われた」と。一体私は何物と思っているのだろうか。人のことばかりが気になって。「念仏を申すことによって、本当に私が私であることができる。それが念仏である。」金子大栄先生の本の紹介文です。
「汝自当知」を私は間違って理解しておりました。自分が考え、自分が行動するとずっと思っておりました。顛倒(てんどう)でした。「貴方様に聞いてみる」「貴方様に問うてみる」「貴方様はいかがですか」八十年かかりました。向こうから与えられているのでした。どんな知恵も。食べ物も。考える頭脳も。家も。服も。寝るところも。この紙もペンも。手も足も、身体も、全て向こうからいただいているものでした。

朝明けの南の空に  
星一つ光り輝き
我を照らせり
                 酒井笑子作
十二月十八日 
酒井さんは清沢満之記念館の館長さんです。自宅や同行さん宅で聞法会を開いておられます。本年五月十六日十時から水本健太郎様宅(愚量会)にて昨年に続いての特別聞法会があり楽しみにしております。
最近になって、清沢先生の精神界(精神主義)は浄土往生の世界を近代人に伝えようといのちを捨ててのご生涯であった、と。曽我先生を通して教えて頂きました。私は精神界を人間の心理の延長線上に捕(と)らえようとして来たのです。
       
 次のお方は中津市の図書館で「願生の火が点く」(樹心社)を読んで下さり結縁を頂いた御同行様です。
先日通信第五「湯の心」をお送りいただきありがとうございました。
今日までに十回読まさせていただきました、ありがたいことです。読めば読むほど先生がこの煩悩具足の私一人のために書き送ってくださったと受け取らせていただきました。
先生の思いの千分の一、百分の一も受け取ることのできない私ではありますが、二年前の今頃先生が「人生は無明である、あなたも無明の中に居る。」と云う意味の言葉をいただいたとき、何か大きな衝撃と一抹の安心を得たことが思い出されます。
その時より、ならば「光に早く遇わなければ」の思いがありながら「光に遇った。」「これが光だ」と云う思いがありませんでした。
この通信第五の五ページに「仏様の慈悲と智慧に遇うということは自己に合うと同じこと。」と云う言葉に遇って、これだ。私が求めていた光はこれだと確信することができました。「罪悪深重、煩悩熾盛の衆生(自己)の自覚と本願の救い(光)とは同時誕生」とのお言葉、まさに体中の心もなにもかもがスーっと軽くなったような気持ちです。
ありがとうございます、うれしくて(うれしくて)乱筆乱文ではありますが書かせていただきました。
「聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心廻向」と味合わせていただいております。
自分はまだまだお教えのほんの一部しか受け取る力さえもありません。御廻向として受けさせていただきたく今後のお育てをよろしくお願いいたします。
敬具
大分県中津市 佃田賢一 七十二才


 次の方は愛知県豊田市の長坂るり子さんです。

合掌、南無阿弥陀仏
常照さんが来て下さってから早二カ月あまり、御無沙汰してばかりで申し訳ありません。一度お便りしなければと思うのですが、気持ちだけで日がどんどん過ぎてしまいました。
「お念仏を申すこと」を言って下さった事させてもらって居ります。
又置いて行って下さった大石先生の「書信集」「信心」を読ませてもらって居ります。仏様のひとりばたらきのことをくり返し書いて下さっているので時々安らぐ時もあり嬉しいです。
しかし、私は何もかも分からず自分が何を苦しんでいるのか。唯、苦しいだけでお念仏を称える事も出来なくなる事もありますがやはりお念仏を又称えさせてもらって居ります。そういう時、本当にお念仏以外何も出来ない事をつくづく思います。
私のためにお念仏を称える事を教えにわざわざ遠路を来て下さり有難うございました。何とか明るい光に遇えるように願って、苦しみもお与えと思い返しての毎日を送って居ります。
これからもお導きよろしくお願いします
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
合掌
常照様                るり子

 私も苦しい時期が随分長くありました。これで開けたと思うては崩れる、数年してまた深く沈む落ち込む、宇宙のブラックホールのような底なしの闇の穴に落ちるような思いに打ち震(ふる)え脅(おびえ)えて暮らさざるを得ませんでした。
 教えに遇い喜んだ後に来る壁をいかに超えさせて頂くのか。そして超えた後どうなっていくのか。       私においては、藤谷秀道先生から「法執は我執より微妙であるが深い」と。大石先生からは「盗法(おっぽう)罪(ざい)」と開けてからの生きざまを見せて頂きました。そして、曽我先生から「二十願の御恩と往生の生活として」教えて頂いています。
親鸞様は大悲。悲しみの世界。転じて下さる世界を教えて下さいます。二十願の他力の中の自力。宗教(しゅうきょう)我(が)。ここに苦闘することの厳しさとご恩の有り難さです。
これがあるから浄土真宗はむつかしいと言われる面もあります。しかし、だからこそ、先輩方のご苦労十七願のお味わい。十二願(光明無量)・十三願(寿命無量)十一願(必至滅度)二十二願(還相廻向)が空しくないことが味わわれてくるのです。
今、親鸞様の悲しみがありがたいです。

 誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の太山に迷惑して、定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず、真証の証に近ずくことを快(たの)しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。
            真宗聖典二百五十一頁
最後に共に朝参りを四年間にわたり宇佐市からご夫妻で通われ事情あって東京に引っ越され聞法を続けられている江島さんからのお便りです。

立春は過ぎましたが、まだまだ寒さが続いております。住職様、坊守様をはじめ、若院様ご夫妻、御門徒の皆様には、報恩講の準備でご多忙の毎日かと存じます。ご苦労様です。仏様のご功徳を頂かれ、正定聚の道を歩まれておられる住職様、坊守様。
 今年も長仁寺様の報恩講のご縁に恵まれず、私達にとりまして
とても残念でなりません。
 初めて長仁寺様で大石先生のご縁でお二人にご縁を頂きました時、仏法に対する姿勢が一途であり驚きました。問いを以て仏法に突き進んでおられる姿が強く印象に残りました。「聞」ということに関して、聞く心、見る心が誰もまねできるようなことでありませんでした。
 坊守様からお聞きしましたことですが、住職様から「食事は漬物でいいから、それよりも、仏法聴聞や仏書を読んでほしい。」と、おっしゃったということをお聞きし、乏しい我身が恥しくなったことを思い出します。お二人でお若い頃より、お子様達を連れての聞法生活、苦行、難行されましたお二人の熱意にただただ頭が下がります。長仁寺に帰って来られてからも、「聞法会」を開かれたり、ご本を出版されたりと忙しい中でいろいろ実行なさり、御門徒様との交流等も考えられて、長仁寺様を開かれた寺院にされました。
そんな中、「朝参り」をされていることを聞きまして、私達もご縁を賜りまして、朝五時前に起き、台風か雪のため道路が凍結していない限り四季を通して三六五日、お二人でお迎えくださり、あの四年間はあのメンバーで、あの時だったからできたことで、み仏様の大慈悲を考えずにはおれません。お二人の御利益を頂戴しての新鮮で充実した毎日でした。そして、老院様ご夫妻にも、大変お世話になりました。
そのような日々の中、ある日突然、長男の呼び出しで私達は、皆さまにお別れして東京に行くことになりました。あれから、五月で八年になります。慣れない東京での生活がはじまりました。
始めの頃は、大石先生が歩まれた苦難の道のご法話も聞かせて戴いておりましたし、「朝参り」のご縁もありましたので、大手を振ってのおのぼりさんでしたが、現実は、私の思いとは裏腹で、心の余裕も失せ厚い壁に囲まれている日々でした。
宇佐を出るとき、何人かの方から「仏法を聞かれていたから、即、実行されるんですね」と言われましたが・・・その仏様に背を向け、仏様のことはどこかに吹っ飛んでしまって、現実を前に「どうにかしなければ」ただそれだけで頭はいっぱいでした。日を追うごとに心身共にふらふらとなり、見かねた夫と娘が、病院に連れていってくれました。「このままだとウツになりますよ」その言葉に唖然としました。嫁よりも、私の方が心の重病人になっていることを知らされ、大石先生があれ程「あなたが救われなさい」とご教示下さっていたのに、自分は、聞こえてなかったのだ。全てを自分で解決しようよしていた「邪見驕慢」の私が知らされ、法蔵菩薩の兆(ちょう)載(さい)永劫(ようごう)のご苦労を宿業の自覚の身にひしひしと感じせしめられました。
 「我執のあるところには法蔵菩薩はましませぬ」
このお言葉が、ふっと聞こえてきて、懺悔の涙とただただお念仏が出て下さいました。
今、ことある毎に、教えの光に照らされ、宿業の身を知らされ、お念仏を称えさせていただいております。「ラッシャイラッシャイ」と通信をお送り頂き、何度も味合わせて戴いております。ご教示ありがとうございます。
最近は、この春、専門学校を希望して入学するようになった孫も、春休みとなり、私の家に掃除やら、お料理を作ってくれたりして、あれ程、手が付けられない程、反抗していた子が、「おばあちゃん、今から行っていい」と電話をかけて私たちのところへ来てくれます。大嵐も静かなことになり、お育て頂きましたお陰です。本当にありがとうございました。今後ともよろしくお導き下さいますようよろしくお願い致します。夫からも御礼申しますという伝言です。
報恩講の間は、こちらからお参りさせていただきます。
寒い折、どうぞお体をお大事に念じ上げます。
南無阿弥陀仏              合掌
平成二十八年二月十六日
           江島安子
 苦抜けされたうれしい御便りです。これからですね。信後が大事との先生方のおおせです。
 曽我先生のお言葉です。
 〝前念(ぜんねん)命終後(みょうじゅうご)念(ねん)即生(そくしょう)〟―命終は自力の極まり。自覚の臨終。浄土の往生が始まって浄土の命が始まる」「肉体は娑婆に居るが、心は浄土に居る。これは矛盾を超えて一致するものであろう」
「親鸞の大地」―曽我量深随聞日録―津曲淳三著
                  八十九頁
 
 同朋というのは往生人。〝敬って一切の往生人等に白(もう)さく〟というお言葉が『教行信証』の行巻にある。願往生人。〝願生すれば即ち往生を得〟とある。 願生と得生は命あらん限り平行しておるものである。得生すればいよいよ願生する。かくのごとくして自信教人信ということが成立するのである。「願生と得生とが同時に成立する。往相と還相とが同時に成立するものである。往相と還相とが対面する」「還相は無意識の世界にある。往相は意識の世界の中にある。正像末和讃を読むと、〝浄土の大菩提心は、願作仏心をすすめしむ、すなわち願作仏心を度衆生心となずけたり〟―意識は願作仏心。無意識の所に度衆生心がある。
 「親鸞の大地」―曽我量深随聞日録―津曲淳三著一〇九頁
 最近のニュースを見ていると、明治以降西洋の文明文化が突如に入り、第二次世界大戦の敗戦から意識教育が疑問もなしに流入しすぎて教育の根幹がおかしくなっているのではないかという危惧を持たざるを得ません。大切な正しい信心(信仰)が軽んじられたり、うわべの形式で済まされて来たつけが今、社会に現れて来ているように思われてなりません。
 宗教にかかわる方々の役割、責任は重いです。お念仏の同行さん方は数少ないのですが尊い歩みをされておられます。現代社会にはほとんど知られていない市井(しせい)の方々ですがご本願の流れは枯れていません。微力ながら私も精一杯歩ませて頂きたいという願いが湧いて来ました。
 明日から長仁寺報恩講です。       拝  
平成二十八年二月二十四日        常照







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質問
通信第八
答え
  通信第八 「願生浄土」

 四月十六日午前一時二十五分ころ震度四の地震がありました。
布団の上に座ったまま、お念仏が出ていました。
その後、余震の中で『親鸞の大地』曽我量深随聞日録・津曲淳三著を拝読させて頂きました。
二十一年前の阪神大震災の時は自分の信心の拠りどころがゆらいでいたことと重なって悲惨な日々をしばらく送りました。
そういう中で 大石法夫先生にお遇いすることができたのでした。

曽我先生の御本は二十代のころ赤線を引いて読ませて頂いておりました。
でも読めていませんでした。
大石先生との出遇いと長年のお育てを頂いて、今初めて曽我先生をして生かしめている本願の魂が伝わって来ます。津曲(つまがり)淳三(じゅんぞう)師が曽我先生に出遇い驚き、感激をもって講話を文字にして伝えずにおれなかった願が私にまで届き、魂が満たされます。本願の大地、浄土の精神界の大地は揺らぐことはありません。

 毎日のように同行さんから電話がかかってきます。何年振り、中には何十年ぶりの人からも心配して下さって電話を頂きます。一体感のいのちが気にかけてくれるのでありましょう。それはそれでうれしかったのですが、そういう中で励まされるお葉書を頂きました。

 長仁寺様
    通信七号ありがとうございます
  「宿業と本願念仏」仏語を交えながら、そして長仁寺様のこれまでの歩ん  でこられたお姿を通しての、本願念仏の教え。私のような、仏書を深く、  読みくだく事の出来ない者にとって何よりの通信と有り難く、浄土往生へ  の道を歩ませて頂きたいの思いに火をつけていただきます。野山は春の息  吹でいっぱいです。太陽を背に、畑に、野菜と話をしながら幸を頂きま   す。
  南無阿弥陀仏。感謝です。                                  合掌

 安芸高田市の水野ウタ子さん(八十八才)です。
 大石先生と出遇った初めのころ、
「浄土の中住まいの生活」
「お内仏の前だけのお念仏ではありませんよ、天地がお内仏ですよ」
それまで聞いたことの無い世界でした。
 『大無量寿経』下巻の初めの「本願成就文」に

  あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。
  至心(ししん)に廻向(えこう)したまえり。彼の国に生ぜんと願ずれば、即  ち往生を得て不退転に住す   

 彼の国に生れんと願う心は三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)の煩悩にまみれた人間の自分が起こすのではありません。至心に廻向したまえり、如来大悲による廻向のお心であります。人間に起きるけれども、人間が起こす心ではありません。如来の三心(至心・信楽・欲生)の欲生我国(我が魂の国、光明土すなわち浄土に来たれ、必ず迎え取る、摂取する、救う)の親心が届いた、成就したゆえに彼の国に生れんと願う心が起こるのです。そこからどういう新生活が始まるか。お念仏は報謝の念仏、有難くなくても有り難い。念仏がお礼になるとの大石先生のお教えの通りとなって来ます。                               
藤谷秀道先生は

  欲生我国は願生彼国となる
  そこに悲しみあり 又喜びあり
  かなしみは機となり 喜びは法となる
  二種深信の真義ここにあり 他力至極の金剛心ここに生ず
   昭和五十六年七月                  秀道八十八才
 
 今から三十四年前、私が二十六才の夏でした。初対面の何もわからぬ私に長時間の沈黙を破って太文字のマジックペンで色紙に書いて下さったお言葉です。今、ようやく届いて下さる光のお言葉であります。
 曽我量深先生の「往生と成仏」の教えによりますと

   「すなわち往生を得る」ということは、浄土の生活。「浄土の生活」と  「浄土への生活」と、これが矛盾(むじゅん)撞着(どうちゃく)(つじつま   があわないこと)しないということでしょう。私どもは、「浄土への生   活」というのだから、まだ浄土へ往生しないのだろうと、そういうふう   に考えますね、まだ浄土へ往生しないから「浄土への生活」ということ   をいうのだろう、と。そうじゃないんですね。「浄土への生活」という   ことと、「浄土の生活」―浄土に生活しておるということ、浄土を(よ   りどころ、帰る世界として)生活していること―これは現在でしょう。
  「浄土に生まれる」「浄土へ生まれる」といえば浄土が未来―。その二つ   が矛盾撞着しない。同時に成り立つ。往生ということは、往生の字には  「浄土へ」と、「浄土に向かって」ということと「浄土を生活する」こと   と二つが同時に成立する。それが「彼の国に生れんと願ずれば、すなわ   ち往生を得る」・・・そうですね。彼の国に生れんと願ずるけれども、   いっこうに往生を得ない。そういうのを方便化土というんです。もう生   まれてしもうたから、いま現に生れてしもうたから、もう浄土は願わな   いと、それもやっぱり方便化土でしょう。現に生まれたからもうこれ以   上はこれで沢山だと。もうこれ以上極楽なんて求める必要はないと。…   そういうふうな考え方、そういうふうな心の動き方をするそういう人は   方便化土へ生まれていく人ですよ。浄土へ生まれたと、浄土へうまれた   から、さらに浄土を求めると。こういうのが真実報土でありましょう。   生きている限りは浄土を願う。浄土へ生まれんことを願う。そして生き   ている限りは、つまり浄土へ生まれておって、しかも浄土を求める。そ   れがつまり往生の「往」の字の意味でありましょう。つまりまあ、俺は   もはやこれで沢山だと、浄土へ生まれたからこれで沢山だと・・・そう   いうのは辺地懈慢界(へんじけまんがい)というのでありまして、生まれ   たからもうこれで沢山だ、もうこれ以上仏さま、もうこれで沢山でござ   いますから、これ以上のことは、もはやご心配下さるな、ああ、沢山で   ございます・・・そういう往生を辺地懈慢の往生という。
                曽我量深講話録四・大法輪閣・五十三頁

くどいように何べんもおおせ下さっておられるのは数少ない聞法者の中にそういう方が多いからです。現に私がそういう事でした。また油断したらそこにすぐに外れていく体質があります。
 ではどういう生活内容なのかをお聞かせいただきましょう。

   新たに、今までなかった尊い生活ですね、自由な尊い生活。その尊い生   活を往生という。生活の名前でありましょう。だから、往生の「生」と   いうのは、「生きる」と「生まれる」という意味もあるけれども、未だ   かってそういう生活がなかったから、その生活は初めて生まれたと、こ   ういうので、「往生」の「生」は「生まれる」とこう言うてもいい。ど   こへ生まれるか、と。どこへ生まれるかというと、浄土へ生まれた。娑   婆世界だけに生きておって、その娑婆世界みたいな所には、われわれの   精神はもう生きられないものでしょう。全く精神は・・・・娑婆世界と   いうものはいわゆる物質的欲望といいますか、その物質的欲望―そうい   うものに精神は圧倒されてしもうて、全く精神は、心というものは少し   も伸びる余地がない。そうでしょう。だからして、われわれはですね、   本当に「生きる」ということはない。本当に生きるというのは、魂が生   きる、精神が生きるんでしょう。娑婆世界ではそういう精神は生きる余   地がない。だから、仏さまは、私どもに「浄土」を与えたと、浄土を与   えたということは、すなわち私どもに無限の「精神世界」というものを   与えたと、こういうことでありましょう。それが如来の廻向ということ   でしょう。そこに、心が伸び伸びとしてですね、心が伸び伸びとして、   また生き生きとして、本当に生き生きとして、心の働く世界がもう果て   しのない世界である―それを「浄土」というのでしょう。そういう世界   を私に与えたと、つまり、私の心はそういう世界に、そういう世界にわ   れらの心の生きる場所、そういう場所として私どもに浄土を与えた。浄   土を与えられた。そういう浄土というものがあって、浄土という所に往   (ゆ)くのだから、「往」ということは「進む」ということ、浄土に進む   ということでしょう。往くというのは進むということでしょう。往進 
   ―。〜〜しかたがない、ゆくんだと、いや困ったことだと。そういうの   ではなしにですね。心に本当にこう、心が進むべき、もういくら進んで   も、いくら勇み進んでも何も妨げるものがない。そのような世界が、わ   れらの心に開くと・・・・「神(たましい)を開く」と、そういうふうに   言うことができる。
   『大無量寿経』には、開(かい)神(じん)悦体(えったい)―神(こころ)    (精神)を開き、体(み)を悦(よろこ)ばす。
   私どもは、今までは物質が精神を圧迫して、精神をみな物質が占領し    て、そうして精神はもう全く生きる場所がなかった。それが、われらは   如来を信ずることによって、如来は私どもに心の生きる、心が本当に生   きる、そういう無限の世界を私どもに与えて下された。〜萎縮(いしゅ   く)している心が、圧迫を受けている心が開いて来た、開くということ   は自由を得たと、心が無限の自由を得たと、それがすなわち、「往生す   る」というわけである。だから、往生というのは、往生の「生」は生活   する。生きるということでしょう。そして、無限に進んで生きる。生き   るということは「進む」ということでしょう。まあそういうことになる   わけであります。
                      曽我量深講話集四・四十八頁

 長い引用になりましたが、『浄土論註』に「論」とは議(ときあか)(たずねはかる、ときあかす、おもいめぐらすこと)すことであるとあります。
十九願の諸行往生に対して、二十願の難思往生。
さらに十八願の難思議往生というそこに「議」の一字があることは大きな次元のちがいを教えてくれています。

私においてはここまで先生方に見せて頂き、触れさせていただき、解き明かして頂かないととても信の世界、浄土の世界へは進んでいけません。
浄土に本当に生まれないとここまで解き明かすことはできないでしょう。
大石先生や藤谷先生の所へ行くと元気が出たり、枯れかかった野菜や花に水をかけられたように魂が癒され満足感が生まれ、貪欲・瞋恚・愚痴の煩悩が消される感覚が与えられたのにはやはり背後に生きた浄土の世界があったからでした。
私は人一倍執着心が強く、心配性の体質です。
中学校のころなど自分で自分を追い詰めたり、心配をしたりする方がスポーツや成績が上がったのであえて追い込んでいく癖(くせ)がついたのかもしれません。現在でも車の運転中に分かれ道や信号で止まっているとき、ふと、右に行くか左にゆくかで事故に遭(あ)ったりして人生が変わってしまうと思う瞬間があります。しかし、そういうことは我の計(はか)らい(無明)から出る不安、妄念であったのです。
どちらに行っても本道へ帰らされる、本願の中です。
浄土(海)からきた大道(二河白道)を曲がりくねったとしても浄土へ浄土へ、海へ海へと導かれ、吸い込まれ、間違いなく浄土へ帰らされます。なぜならば出処(でどころ)が浄土であるからです。浄土から来ている道だからです。念仏は浄土から来ているのです。

 親鸞様のお導きによりますと、『教行信証』の行巻の初めに

  大行(南無阿弥陀仏)とは、すなわち無碍光如来の名(みな)を称するな   り。この行は〜〜〜      
  真如一実の功徳宝海なり。かるがゆえに大行と名づく。しかるにこの行は  大悲の願(第十七願)より出(い)でたり
 
 師匠さま、諸仏がたからの願い、背後には限りない光(光明無量の十二願)・寿命無量の第十三願)からの大悲の願い(誓願)によりお念仏が選ばれ浄土へ浄土へと帰る方向と道をつけていただいたのです。その願、お心を謹んで聞かせて頂く、その精神世界に心が生まれ生活させて頂いてゆくところに第十八念仏往生の願があるのです。なかなかそうなれないと悲歎するところに果遂の誓い二十願の転入の導きがあります。他力の中の自力の在り方、自力の念仏にもどかしさを感じて聞法されることが尊いことであります。それでこそ、如来広大のご恩に深く進んで行けるご縁となるからです。
最後に七号のAさんからのお葉書を載せさせて頂きます。Aさんは岐阜市芋島の青山喜代子さんです。田中秀法師の本願道場の同行さんです。


  御免下さいませ
   この度の大地震 お見舞い申し上げます
   先日は早速通信第七信をお送りいただきまして誠にありがとうございま   した。何度も読ませて頂いています。
   私にはまだ、お教えを感得する力はございませんが 
   命の限りこの道を歩ませていただきたいお思います。 
   どうぞこれからもお導き下さいますようお願いもうしあげます。    
                                 合掌

 表現されたことが届くとうれしいです。
曽我先生は廻向を「表現」とおおせられたと聞いたことがあります。
届いたということは仏様がはたらかれたという事でしょう。
仏様のこころは仏様しか伝えることはできませんから。私に仏様のお心がうれしいということは仏様の方がなおうれしいということでしょうか。

浄土の大菩提心は
願作仏心をすすめしむ
すなわち願作仏心を
度衆生心となづけたり

度衆生心ということは
弥陀智願の廻向なり
廻向の信楽うるひとは
大般涅槃をさとるなり
           正像末和讃・聖典502貢


 共に凡夫の身心でありながらお蔭さま(浄土)の中で浄土へ、浄土へ進んでまいりましょう。
新緑の葉を微風がゆすり、透きとおった鶯の声が呼びかけてきます。
庭に白い蝶が飛んで来ました。むこうに黒い蝶も見えました。
偶然ですが有り難いですね。働かせてもらうことが楽しいです。
手足そして腰が痛いですが有り難いです。心の疲れの回復が早いです。
坊守いわく、「畑が今年一番いい」とのこと、こころが忙しい中にも晴れ晴れとして落ち着かされるからでしょう。雑草も勢いがいいこと。さあ、精を出しましょう。

平成二十八年四月三十日                                                         常照       
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